中国火車旅行

2006年3月24日 読書
いちいちうんうんとうなずきつつ、その情景が浮かんでくるかのようにページを閉じて思いを馳せた。

とってもとても、楽しく、自身が旅行をしたように感じた一冊であった。

そもそも、中国の火車(汽車のこと)はすごい。あのでっかい国の隅々まで鉄道を通しているのだから、マニアなら乗らないのはウソだ。
ただし…しんどい。
はっきりいって。
日本ほどキレーでもないし、設備が(と訓トイレ!)良い訳でも、便利が良い訳でもないし。
平気で2泊だの3泊だのの距離を鉄道で座ったままで行く旅は、結構辛い。
私には、だけど。
だが同時に、上海から黄河を越えて、西域(ウルムチ)にまで達してしまう中国の鉄道は、力強い。
なにせ、砂漠だよ、砂漠のすぐ近くを行くわけだ。
街中を走るわけじゃぁないんだ。

この本で著者が旅をするのは、

?北京〜広州…南北縦断
?上海〜ウルムチ…砂漠を行く
?大連〜ハルピン…満州路
?成都〜昆明…南の国へ

3年続けて出かけて…でもたかが3年で、よくこれだけ乗ったなーと思う。
いくら仕事で取材でも。
なにしを相手はあの中華人民共和国だ。
こっちの都合でこっちの計画ですいすいと進ませてくれるような甘い国じゃない。
あれもいかん、これもいかん、と大いに制約をかけてくるような国なのだ!

?の旅などでは、脱線事故で1泊増え、汽車で4泊…私には耐えられないだろうな。
でも、流石に中国は国内中をモグラの巣のように鉄道網を張り巡らせて、ひっきりなしにそこに汽車を走らせているから、運行については日本に負けずとも劣らす!
だって、え〜加減に走らせていたら衝突事故だらけになるじゃない。
今まで考えたことがなかったけれど、鉄道に関しては中国は緻密で精密だったのだ!(意外…こらこら)(笑)

?ではシルクロードの旅をなぞっている。
ちょっと羨ましい〜けど、私なら西安や洛陽を通り過ぎるなんて出来ない!(笑)
私だけではなく、普通の人なら、絶対一駅づつ降りて、周遊するな。
その辺が、"乗ること"のみが旅の目的の人というのは変っていると思うところだ。
到着が遅れたために、ウルムチに到着したら、一服する暇もなく、飛行場へ直行…だなんて!
信じられます?

?ちょっと憧れる、ソ連っぽい都市の描写が面白かった。
いったことがない地域なので、行ってはみたいけど、寒いのが苦手な私はなかなかその機会が…。

?成都…は、もう一度行きたいけれど、ここでの汽車の旅にはふか〜い思い出がある。
1984年の春、この町から本当は飛行機で重慶に向かうはずだった私たち一行は、いきなり横入りしてきた軍人(解放軍というやつだ)2名のため、チャーター機であるにも関わらず、席を渡さねばならなくなり…泣く泣く(?)4名が前夜に汽車で重慶へと旅立つこととなったのだ。
4人分の席を2人で占領しやがったのだ…しかも、飛行機は私たち一行のチャーター機だっつうの。
今思い出しても腹が立つ。
この本も、1985年から始まった中国火車旅行なので、時代的にはほぼ一緒だ。
だから、いかに軍部が、そして中国政府がハナタカビーでいけすかないか、いかにふんぞり返っていたかが本を読んでいくと良く分かる。

ただし。
最大の利点は、当時は「日中(中日)友好」政策を取っていたこと。
どこへ行っても「友好・友好!」ともみくちゃにされた…(ホントに歓迎か?)(笑)

政府のおしきせであってもいい。
あの時代は、知り合ったばかりの中国人と肩を並べてひまわりの種のいったものを食べたり、肩を組んだり…楽しかったなぁ。

と、著者も人間関係においては結構な思いをしているようだ。

今はどうだろう…?
ニュースでしか知らないけれど、怖くて中国人においそれとは近づけないかもしれないな。

さて。
どーでもいいけど。
私の中国火車体験である。

?宜昌〜武漢…寝台車
宜昌は三峡下りの終着点。
中国で初めて乗った汽車が寝台車で、本当は眠れないはずだったのが、前日までの三峡下りの船中泊の疲れでか、ぐっすり寝た。小さな出っ張りと寝台の中央に仕切りのように(お布団が落ちないように?)張ってあるロープのみで「はっ!」と勢いをつけて上段の寝台に登らねばならない。
若いうちはいいけれど…なんて、寝台なんだ。しかもこれが特等なんだってサ。

?北京〜大同…寝台車
大同には中国三大石窟の「雲崗」がある。またこの地は、中国の火車を走らせる原動力・石炭の露天掘り炭鉱がある。
とにかく、すごい大きな炭鉱だ。あれだけあれば、中国は安心してまだまだ火車を走らせるだろうなぁ。
上段で寝たら、貴社の揺れのたびに(堕ちないかと)怖くて心配で、まともに眠れなかった。
フランス人観光客の一団と一緒で、そのうちの一人が同室(4人一室の扉の閉まる個室)だったのだが、仲間のいるコンバートからいつまで立っても帰ってこないので、とっとと鍵をかけて寝た。(跡のメンバーは私たち姉妹+中国人のおじさんで3人)
夜中遅く、2時ごろに、フランス人が帰ってきて鍵をがちゃがちゃ言わせているのが煩くて、起きて鍵を開けてやる。
ほんまにもう…。
挙句、連中はこの中国人のおじさん(再開したとき知ったのだが、かなりのえらいさんだった)に「大同には何時につくか!?」と団体で詰め寄っていたのだ…ヘタな中国語で。
まったく!
汽車に乗るなら時刻表ぐらい調べて来いってば!
(連中にはヘタな英語で私が教えたのだが、「英語喋っとる!」とばかりに驚かれたワイ。悪かったな。日本人じゃ。)

?上海〜蘇州

?上海〜杭州

?と?は、上海から近場へ行く路線。
景色もよく、風もいい。日帰りOKである(ちょっとしんどいけど)
ただ、私としては、蘇州〜杭州間は、運河を結ぶ船で一泊しての旅が一番楽しかった。
……夜中は熟睡できないけどね。
しょっちゅうなんだかんだにぶつかってるからさ(笑)
この船、よくつぶれないな…と感心する。

中国の貨車が何十両と、ちょっと想像できないぐらい長蛇の列になって走っているのと同じように、船もまた、客船だけではなく貨物を積んだ船(なんだか筏の上等なのみたいだったけど)を連結し、延々つらなって運河を進む。
ゆっくりと。

だから、そのなかのひとつやふたつや10ぐらいが、ちょっと陸だの反対側を行く船だのにちょっぴり(?)ぶつかったってどうってことはないのだ。(中にいる私らはたまったものではないが)

そう。私ら日本人が繊細すぎるだけんなんだろうともさ!(笑)

この路線、特に上海〜蘇州間は、みやげ物を売る服務員が結構しつこく出現した路線でもある。
同行の老人が纏め買いをしたところ、やれお茶だお代わりだお菓子だと、下にも置かない接待ぶりで随分と得をした。
まだまだ自由経済までは程遠い頃だったが、ま、人情である。

二度目に乗った蘇州〜上海間は、備え付けの(はずの)ポットもお茶もなくなっていた。
その代わり服務員が売りにくる。
この辺りから、汽車代にお茶代は含まれません…風になってきた。
こんなところだけ資本主義風なんだから…!

この、ささやかな私の体験が、この本に描かれているあちらこちらのひとつひとつの出来事にぴたりと符号するのだ。
「ああ、そうだったなァ」と乗ったことのない路線でも、「同じやなぁ」と思わせる。
そうね、「同じ、中国だもんね」

嗚呼、この本、自分でも買おうかな〜(これは友人からの借り物なのだった)
というか、自分でもきちんとまとめたくなったな、中国の旅。

ISBN:4041598052 文庫 宮脇 俊三 角川書店 1991/09 ¥441

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