落語的生活ことはじめ―大阪下町・昭和十年体験記
2006年3月23日 読書
面白い!
日本でも珍しい(らしい)落語作家(しかも女性)の著者が、「落語に出てくるような生活を体験してみたい」と思いたって、実行に移した顛末記である。
その舞台を、昭和10年に置いた。
そもそも落語の舞台は、御白洲でおしおき…なんて現場が出てくる以外は、意外に近代なのだそうだ。
第一体験するには、髷だの結わなきゃなんないし…それは不可能。
くまつぁんはっつぁんの長屋が昭和10年かどうかは別にして、ぼんやりと落語世界を体現する、そんな時代の舞台は大阪、ミナミに近い空堀商店街……。
電気はあった。勿論。
ただし、電球に傘をつけたぐらいで明るさは10ワット、てなもん。
水道は、上水道は引かれていたが、まだまだ汲み置きの水と併用して使う。
ガスはへっつい(かまどで薪で煮炊き)からガスコンロへの端境期。
ガスコンロも、今様ではなく、マッチで火をつける鋳物コンロ。
阪急や高島屋などのデパートは、なんと(!)できていてレストランには洋食も珈琲もあったけど、まだまだハイカラ。
市電が縦横に走っていて、地下鉄は梅田ー心斎橋のみ。
おお…昭和10年て、私の親の生まれた頃だから、そんなに昔だとは思ってなかったのに……随分昔やんかーなどとショックをうけつつ読み進む。
そういえば、著者は公衆浴場、通称「おふろやさん」も体験したことがなかったのだそうだ。
そうなんか…私の時代、おふろやさん、が普通やったけどな。
あ、それってうちが単に田舎だったのか…?
よしんば、内風呂(うちぶろ:自宅の風呂のこと)が出来ても、おふろやさんのおっきな、"泳げる"お風呂(本当は遊泳禁止)、大きな水槽に金魚や鯉が泳ぐお風呂、大きなタイル画がド迫力で美しいお風呂、出てきたら"ヤクルト"乃至"フルーツ牛乳"を一気飲みする爽快なお風呂…の方が好きで、ちょくちょく連れて行ってもらったもんですが。
そんなわけで、かんてき(炭火で料理)と火鉢(薬缶でお湯を沸かす兼暖房用具など)で生活する。
勿論、着物で。
……洋服もあったけど、日本全国を見れば、絶対的に着物の時代だからと。
大正時代には洋装で闊歩したモボ・モガの時代もあったんだけどなぁ…、と個人的には思うけど。
確かに。
うちのおじーちゃんやおばーちゃんが働き盛りの所帯主な時代で、モボ・モガもないか…と思いなおす。(想像できない)
炭で火を起こすのにとっても苦労している著者とその周囲の人々。
私も小さい時は、実は、練炭炬燵や練炭のカイロだったよなーと古い記憶が蘇る。
片手鍋の、そこが網になったような奴…に練炭を入れて、ガスで火をおこして、ぼーぼー焼く。
おこたの方はどうしたか…はっきりと覚えてないけれど(多分似たようなものだったろうが)、冬の夜、おふとんに淹れたカイロの作り方は好く覚えている。
練炭に火がついたナーと思ったら、それを容器(不燃性の石綿(?)がマットのようになっていて、練炭を並べ、蓋にはしっかりと鍵をかけるようになっている)に入れる。
それを手ぬぐいでぐるぐる巻きにして、それを専用の袋(といっても母が縫ってくれた袋)にいれて、布団の中に。
朝まで充分温かい…カイロ、だね。
ただし、その発熱もすごいので、取り扱いを失敗するとやけどをする。
ぐるぐる巻いた手ぬぐいが解けてしまい、抱きつくようにしていて寝ていた私は、足の二箇所に大きなやけどを作ってしまった。
いまだにくっきりはっきり跡が残るやけどを…。
…っていうか、そんなこと、大騒ぎするほどのことはない、日常茶飯事だったな。
小学校低学年で、練炭に火をおこしておこたやカイロを作ってたしな…。
……というか。
ちょっと待て。
そういえば、数年前まで、おじーちゃん家は、お風呂が五右衛門風呂だったわな。
新聞紙から薪へと火を移し、お湯を沸かす…なんて、私もそういやしていたよ。
忘れていたけど。
五右衛門風呂は、火を起こすのが云々…よりも、浴槽に排水溝がないから(そもそもが"釜"、なんだから当たり前か)水を書き出して掃除をするほうが、と〜っても大変だった。
ちなみに、その全時代的なお風呂は、いまではソーラーシステムに大変身!
我が家の風呂よりもず〜っと進化してます(笑)
そんなこんな、使っていいもの(当時日本に存在したもの)と駄目なもの(日本にまだ入ってきていないものや世界にまだ生まれてきていないもの)に分けて、大奮闘する姿が面白い。
洋風スイーツは勿論厳禁!で、さすがに著者もそのあたり、答えた様子だが、一番大変だったのは、冷蔵庫が使えないってこと。
毎日買い物に行かねばならぬ。
腐るからね。
体験した1ヶ月は、4月から5月にかけてだけど、苺も豆腐もとっとっとやられてしまったのだそうだ。
皆スプリンター君(あしがはやい)だね。
おまけになまぐさい物(魚とか)を出しているだけで蠅が集まってくる…においで。
冷蔵庫ならそんなことはないのにと、そう言われて私もハッと思い出す。
そういえば、昔は蠅も多かったよな……。
いや。
冷蔵庫って偉大だわ。
冷蔵庫がなくて毎日買い物をしなければならないならば、新鮮素材を口に出来ると言い訳しても、終末の商店街の休みは答えるし、一人住まいなら鯛一匹は買えない(余るから)⇒食せない。ということになってとっても可哀想。
一応、仕事をもっている女性なので、「昭和10年・女の一人住まい」を設定しようとすると、当時一人住まいの女って…なかなかいないってさ。
で、その条件で当てはまるとしたら、おめかけさん、か、後家さん。
ってことで、著者は後家さんライフを選択。
そもそも忙しい人なので、仕事でばたばた走り回る。
それも、着慣れない着物で四苦八苦して。
全力投球で昭和10年代の、職業婦人の一人暮らし…は、その顛末を読んでいて、とっても面白かった。
何があって、何がなくて、どうなふうに工夫をしていたか。
まだまだ充分手の届く、昔話だからね。
…だがそれも、もしかしたら、世代差はあるかも。
宮崎さんのアニメ「おもひでぽろぽろ」のように、「そうそう!」と分かる世代と「なにそれ?」と分からない世代と。
『共感できる思い』も世代とか年齢とか、確かにある。
人の共通するものは、時と共に微妙に違っている。
そして最大の問題。
著者のような自由業にちかい職業…であるならば兎も角、今時の普通の会社員には到底無理。
ただでさえ残業でひーひー言っている身には、夢の夢。
…というか、そんな風になってしまっている現状が、現代日本社会こそが、異常なんじゃないかな、と思いなおしたのだった。
ISBN:458283115X 単行本 くまざわ あかね 平凡社 2002/07 ¥1,470
日本でも珍しい(らしい)落語作家(しかも女性)の著者が、「落語に出てくるような生活を体験してみたい」と思いたって、実行に移した顛末記である。
その舞台を、昭和10年に置いた。
そもそも落語の舞台は、御白洲でおしおき…なんて現場が出てくる以外は、意外に近代なのだそうだ。
第一体験するには、髷だの結わなきゃなんないし…それは不可能。
くまつぁんはっつぁんの長屋が昭和10年かどうかは別にして、ぼんやりと落語世界を体現する、そんな時代の舞台は大阪、ミナミに近い空堀商店街……。
電気はあった。勿論。
ただし、電球に傘をつけたぐらいで明るさは10ワット、てなもん。
水道は、上水道は引かれていたが、まだまだ汲み置きの水と併用して使う。
ガスはへっつい(かまどで薪で煮炊き)からガスコンロへの端境期。
ガスコンロも、今様ではなく、マッチで火をつける鋳物コンロ。
阪急や高島屋などのデパートは、なんと(!)できていてレストランには洋食も珈琲もあったけど、まだまだハイカラ。
市電が縦横に走っていて、地下鉄は梅田ー心斎橋のみ。
おお…昭和10年て、私の親の生まれた頃だから、そんなに昔だとは思ってなかったのに……随分昔やんかーなどとショックをうけつつ読み進む。
そういえば、著者は公衆浴場、通称「おふろやさん」も体験したことがなかったのだそうだ。
そうなんか…私の時代、おふろやさん、が普通やったけどな。
あ、それってうちが単に田舎だったのか…?
よしんば、内風呂(うちぶろ:自宅の風呂のこと)が出来ても、おふろやさんのおっきな、"泳げる"お風呂(本当は遊泳禁止)、大きな水槽に金魚や鯉が泳ぐお風呂、大きなタイル画がド迫力で美しいお風呂、出てきたら"ヤクルト"乃至"フルーツ牛乳"を一気飲みする爽快なお風呂…の方が好きで、ちょくちょく連れて行ってもらったもんですが。
そんなわけで、かんてき(炭火で料理)と火鉢(薬缶でお湯を沸かす兼暖房用具など)で生活する。
勿論、着物で。
……洋服もあったけど、日本全国を見れば、絶対的に着物の時代だからと。
大正時代には洋装で闊歩したモボ・モガの時代もあったんだけどなぁ…、と個人的には思うけど。
確かに。
うちのおじーちゃんやおばーちゃんが働き盛りの所帯主な時代で、モボ・モガもないか…と思いなおす。(想像できない)
炭で火を起こすのにとっても苦労している著者とその周囲の人々。
私も小さい時は、実は、練炭炬燵や練炭のカイロだったよなーと古い記憶が蘇る。
片手鍋の、そこが網になったような奴…に練炭を入れて、ガスで火をおこして、ぼーぼー焼く。
おこたの方はどうしたか…はっきりと覚えてないけれど(多分似たようなものだったろうが)、冬の夜、おふとんに淹れたカイロの作り方は好く覚えている。
練炭に火がついたナーと思ったら、それを容器(不燃性の石綿(?)がマットのようになっていて、練炭を並べ、蓋にはしっかりと鍵をかけるようになっている)に入れる。
それを手ぬぐいでぐるぐる巻きにして、それを専用の袋(といっても母が縫ってくれた袋)にいれて、布団の中に。
朝まで充分温かい…カイロ、だね。
ただし、その発熱もすごいので、取り扱いを失敗するとやけどをする。
ぐるぐる巻いた手ぬぐいが解けてしまい、抱きつくようにしていて寝ていた私は、足の二箇所に大きなやけどを作ってしまった。
いまだにくっきりはっきり跡が残るやけどを…。
…っていうか、そんなこと、大騒ぎするほどのことはない、日常茶飯事だったな。
小学校低学年で、練炭に火をおこしておこたやカイロを作ってたしな…。
……というか。
ちょっと待て。
そういえば、数年前まで、おじーちゃん家は、お風呂が五右衛門風呂だったわな。
新聞紙から薪へと火を移し、お湯を沸かす…なんて、私もそういやしていたよ。
忘れていたけど。
五右衛門風呂は、火を起こすのが云々…よりも、浴槽に排水溝がないから(そもそもが"釜"、なんだから当たり前か)水を書き出して掃除をするほうが、と〜っても大変だった。
ちなみに、その全時代的なお風呂は、いまではソーラーシステムに大変身!
我が家の風呂よりもず〜っと進化してます(笑)
そんなこんな、使っていいもの(当時日本に存在したもの)と駄目なもの(日本にまだ入ってきていないものや世界にまだ生まれてきていないもの)に分けて、大奮闘する姿が面白い。
洋風スイーツは勿論厳禁!で、さすがに著者もそのあたり、答えた様子だが、一番大変だったのは、冷蔵庫が使えないってこと。
毎日買い物に行かねばならぬ。
腐るからね。
体験した1ヶ月は、4月から5月にかけてだけど、苺も豆腐もとっとっとやられてしまったのだそうだ。
皆スプリンター君(あしがはやい)だね。
おまけになまぐさい物(魚とか)を出しているだけで蠅が集まってくる…においで。
冷蔵庫ならそんなことはないのにと、そう言われて私もハッと思い出す。
そういえば、昔は蠅も多かったよな……。
いや。
冷蔵庫って偉大だわ。
冷蔵庫がなくて毎日買い物をしなければならないならば、新鮮素材を口に出来ると言い訳しても、終末の商店街の休みは答えるし、一人住まいなら鯛一匹は買えない(余るから)⇒食せない。ということになってとっても可哀想。
一応、仕事をもっている女性なので、「昭和10年・女の一人住まい」を設定しようとすると、当時一人住まいの女って…なかなかいないってさ。
で、その条件で当てはまるとしたら、おめかけさん、か、後家さん。
ってことで、著者は後家さんライフを選択。
そもそも忙しい人なので、仕事でばたばた走り回る。
それも、着慣れない着物で四苦八苦して。
全力投球で昭和10年代の、職業婦人の一人暮らし…は、その顛末を読んでいて、とっても面白かった。
何があって、何がなくて、どうなふうに工夫をしていたか。
まだまだ充分手の届く、昔話だからね。
…だがそれも、もしかしたら、世代差はあるかも。
宮崎さんのアニメ「おもひでぽろぽろ」のように、「そうそう!」と分かる世代と「なにそれ?」と分からない世代と。
『共感できる思い』も世代とか年齢とか、確かにある。
人の共通するものは、時と共に微妙に違っている。
そして最大の問題。
著者のような自由業にちかい職業…であるならば兎も角、今時の普通の会社員には到底無理。
ただでさえ残業でひーひー言っている身には、夢の夢。
…というか、そんな風になってしまっている現状が、現代日本社会こそが、異常なんじゃないかな、と思いなおしたのだった。
ISBN:458283115X 単行本 くまざわ あかね 平凡社 2002/07 ¥1,470
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