ISBN:4062750414 文庫 浅田 次郎 講談社 2005/04 ¥660
時は1900年。
場所は中国・北京。
そのときそこで、何があったかというと。
「義和団事変」
といわれる戦いである。
清朝末期である。
実権をもっていたのはかの有名な西太后。
広い中国を食い物にする西欧各国(日本も入っていたが)に対し、怒れる中国人民が蜂起し、北京を包囲した。
各国の外交官・駐在員・民間人は団結し、居留地や公使館等に立てこもり、救援が駆けつけるのを待ちながら、必死に耐え続けた。
これを後に映画化したのが、チャールトン・ヘストン主演の「北京の55日」である…というのは有名なこと。
この映画、とても面白いのだが……篭城していた日本の指揮官と日本の救援部隊の指揮官が出会ったとき、敬礼の後、35度ぐらい(と思うぐらい中途半端な角度で!)頭を下げてお辞儀をしあうあの映像!
あれはな〜。
台無しだよな〜。
大体、あの篭城戦で最大の兵力をもっていたのは日本だった。
戊辰戦争を経験し、辛酸を嘗めながら必死の思いでのし上がってきた(何故なら彼は会津出身の、生き残りである)たたき上げの指揮官もかなりの人物だったといわれているし、本来ならば彼が指揮を執るべきではなかったのか?という声は(主に国内から)聞こえている。
それが、あのお辞儀……。
変ですってば、絶対に。
いや、お辞儀がどうのこうの、ではなくて、ぎこちないと言うか、おっかなびっくりと言うか、形が変というか、映像として美しくない!
日本人に対する勉強不足だ、って思うんだけどな〜。
画像として奇異に映ったのは、中国の黄土を騎兵隊が闊歩するところ。
いやね〜歴史考証としては正しいのかもしれないけど〜。
でもね〜。
似合わねーなーと。
この乱に際し、清朝政府は最初、「義賊」「忠節の民」と讃える態度をとったが(つまり諸外国に対しては即時撤退を暗に要求…否、暗じゃなかったか)救援部隊が駆けつけ、旗色が悪くなると、今度は「賊徒」であると決め付けた。
……ま、どこでも政府っていうのはこういうことをやるから。
話はその義和団の変の最中である。
故宮ー清朝の宮廷内にある小さな井戸で、時の皇帝の寵妃が殺された。
寵妃の名を珍妃という。
彼女は、頭から、深い井戸に放り込まれて殺されたのだった。
その謎を解きましょうと…義和団事変のあれこれを調査士に派遣されてきた、英国海軍提督・ソールズベリー卿は乗り出したわけである。
義和団が各国連合軍に敗れたのに慌てた西太后らは撮るものもとりあえず西安に逃げ出すのだが、そのどさくさにまぎれて殺害されたのである。
北京の故宮内にある珍妃の井戸ーは、私も見たことがある。
人間が通り抜けられるとは到底思えないほど小さな井戸だった。
だが、何しろやんごとなきお方であるから、信じられないぐらいスレンダーだったのかもしれない。
いやいや、今の中国人を見よ。
「ほんまに人間か?軟体動物じゃないか?」
と思うぐらいに体が柔らかかったりするから…「ありえそう」と思ったものだった。(これも差別ですか?)
どちらにしろ、皇帝の妃が殺害されるって言うのは尋常なことではない。
本国からの意向からはかなり外れた方向になってしまう珍妃殺害事件の調査。
ソールズベリー卿は、本気で事件解決に乗り出すのだろうか?
…まだ読みはじめなので、私にもわかりませんけど。
時は1900年。
場所は中国・北京。
そのときそこで、何があったかというと。
「義和団事変」
といわれる戦いである。
清朝末期である。
実権をもっていたのはかの有名な西太后。
広い中国を食い物にする西欧各国(日本も入っていたが)に対し、怒れる中国人民が蜂起し、北京を包囲した。
各国の外交官・駐在員・民間人は団結し、居留地や公使館等に立てこもり、救援が駆けつけるのを待ちながら、必死に耐え続けた。
これを後に映画化したのが、チャールトン・ヘストン主演の「北京の55日」である…というのは有名なこと。
この映画、とても面白いのだが……篭城していた日本の指揮官と日本の救援部隊の指揮官が出会ったとき、敬礼の後、35度ぐらい(と思うぐらい中途半端な角度で!)頭を下げてお辞儀をしあうあの映像!
あれはな〜。
台無しだよな〜。
大体、あの篭城戦で最大の兵力をもっていたのは日本だった。
戊辰戦争を経験し、辛酸を嘗めながら必死の思いでのし上がってきた(何故なら彼は会津出身の、生き残りである)たたき上げの指揮官もかなりの人物だったといわれているし、本来ならば彼が指揮を執るべきではなかったのか?という声は(主に国内から)聞こえている。
それが、あのお辞儀……。
変ですってば、絶対に。
いや、お辞儀がどうのこうの、ではなくて、ぎこちないと言うか、おっかなびっくりと言うか、形が変というか、映像として美しくない!
日本人に対する勉強不足だ、って思うんだけどな〜。
画像として奇異に映ったのは、中国の黄土を騎兵隊が闊歩するところ。
いやね〜歴史考証としては正しいのかもしれないけど〜。
でもね〜。
似合わねーなーと。
この乱に際し、清朝政府は最初、「義賊」「忠節の民」と讃える態度をとったが(つまり諸外国に対しては即時撤退を暗に要求…否、暗じゃなかったか)救援部隊が駆けつけ、旗色が悪くなると、今度は「賊徒」であると決め付けた。
……ま、どこでも政府っていうのはこういうことをやるから。
話はその義和団の変の最中である。
故宮ー清朝の宮廷内にある小さな井戸で、時の皇帝の寵妃が殺された。
寵妃の名を珍妃という。
彼女は、頭から、深い井戸に放り込まれて殺されたのだった。
その謎を解きましょうと…義和団事変のあれこれを調査士に派遣されてきた、英国海軍提督・ソールズベリー卿は乗り出したわけである。
義和団が各国連合軍に敗れたのに慌てた西太后らは撮るものもとりあえず西安に逃げ出すのだが、そのどさくさにまぎれて殺害されたのである。
北京の故宮内にある珍妃の井戸ーは、私も見たことがある。
人間が通り抜けられるとは到底思えないほど小さな井戸だった。
だが、何しろやんごとなきお方であるから、信じられないぐらいスレンダーだったのかもしれない。
いやいや、今の中国人を見よ。
「ほんまに人間か?軟体動物じゃないか?」
と思うぐらいに体が柔らかかったりするから…「ありえそう」と思ったものだった。(これも差別ですか?)
どちらにしろ、皇帝の妃が殺害されるって言うのは尋常なことではない。
本国からの意向からはかなり外れた方向になってしまう珍妃殺害事件の調査。
ソールズベリー卿は、本気で事件解決に乗り出すのだろうか?
…まだ読みはじめなので、私にもわかりませんけど。
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