読み始め…なので今後どう展開してゆくのかは不明だが、序に述べられていることを要約すれば、

普段から細かいことは気にしない、くよくよしない、という精神的処理をして私たちは日常生活を送っている。
それは日本人だけではない。
人間一般にいえることだ。

逆に言えば、いちいち細かい事象を気にする人は「神経症」であるとか、「精神的不安定」と称されて、日常生活に支障をきたしている。

つまり、自分でブレーカーをあげてるんだね。きっと。
そうしないと、とてもじゃないけど対処していられない。
頭がおかしくなってしまう……。

その、自然のうちに「解消」してしまう精神構造が、万に一つの危機のときに障害となるわけだ。
つまり、「これぐらい大丈夫」「私は大丈夫」「きっと大丈夫」なんて思っているうちに避難のチャンスを失う。

洪水やなだれなどの避難指示に、全員が従わないというのがそのひとつの例。
また、日本における地震についての思考を考えると分かる。
昔から語られる"逃げようの無い"大地震については、おおかたの日本人は「なりゆきまかせ」で諦めているのではなかろうかと……。

だって、来るものは仕方が無いし。
いつ来るかわから無いんだし。
そんなものをびくびくしながら暮らしてゆけない。

ほかに、
9・11の時、警備システムの間違った指示(「パニックを嫌って脱出指示が遅れ、あたら犠牲者を増やした」)や韓国の地下鉄放火事件で「大丈夫だから動くな」という車内放送のため、とどまって焼死者が増えたことなど。
この二つは、スペシャリストの判断を過剰に信じすぎたからなんだそうだ。
このスペシャリストたちは、「パニックになるから」動くなと、じっとしているようにと、あたら多くの人命を奪うことになる指示を出してしまったのである。

だいたい、「災害時のパニック」については、実際に起こる確率は少ないというのが現状の見解らしい。
(知らなかった)
万が一、なにか大災害が起こったとしても、パニックに走る、という確率は少ないらしいのだ。
昔は何かというと「パニックになるから」といっていたらしいが…。
だから、今では研究者は、侮蔑をこめて「パニック"神話"」(神話=現実的ではないこと)と呼んでいるらしい。

また、自然災害は、そこにかける費用効果が、何もしない時に比べて上であると判断されればかけられるが、そうでなければ何もしない……。

都会の真ん中を流れる川の整備は大金を投じてなされるが(氾濫した時の被害が大きい)、過疎地ではされないのである。
被害が大きいとは、判断されないからだ。

なんだか…切ないですね。結局は自分で危険を判断して自分で行動しななさいって事だ。
判断できるように、間違った行動をおこさないように、常に準備をする(意識する)ってことが大事なんだろうな。

韓国の地下鉄でも、咄嗟に逃げた人は何人もいたらしいから…。

ISBN:4087202283 新書 広瀬 弘忠 集英社 2004/01 ¥735

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