今年の春のJRの脱線事故でもそうだったが、人間の想像以上の事故が発生した時、人が普段考えてもいないような何かが起こったとき、無事でそばにいる私たちはいったい何ができるだろうか。
JRの事故のニュースでは、近くの会社の従業員が何人も何人も何度も何度も往復して水や毛布やその他色んなものを運んでいる、走り回っている姿が映っていた。
勿論、ニィースの中心は事故車両と救い出されてうめく血だらけの乗客たちだったが、画面の端々に登場する彼らの姿は、私の目には大きく写っていた。

私に、ああいう事ができるだろうか。
すぐに行動に移せるのだろうか。

残念ながら、それは疑問なのである。

あの日航機事故から、20年がたった。

夏休みのお盆前。
ちょうど休みに入ろうという時。
狭い日本を東へ西へ、人々が一斉に移動する時期だった。

著者は、警察側で指揮を執ったひとり。
その立場から、当時の一人一人の働きを、人間というものを、振り返っている。
不眠不休で働き、でも、遺族からは権力の手先のように誤解されもし、憤りよりも悲しみと未曾有の惨事に平常心を失いかけながら必死で働いた、とある。

炭化した遺体もあれば分断された遺体も多い。
そのなかで個人を特定するのは難しい。
今では当たり前のように思える、歯による判断は当時はまだ今ほど当たり前のことではなかったようだ。

そんななかで、歯科医はその重要性をきちんと把握していた。
関西を始め、各地の歯科医が「自分の患者は自分が見つける」と、診断記録や資料をもって現場に駆けつけた。

警察も、医師も、看護婦も。
そして現場の異臭の中で肉親を求める遺族も。
それらすべてを取巻いて、異様な空気が満ちていた。
想像の枠外の、異様なムードだったろう。
でも、何があっても、遺体を遺族に返すという気持ちとやり抜くという気持ちで強く結ばれていたという。
限界を超えたところで発揮される、実力以上の力が働いていたのかもしれない。

言い方は悪いが、火事場の馬鹿力、みたいな。

阪神大震災のときに、か弱い老人が、家の屋根や壁を押しのけて脱出したような…。

著者のメッセージは、ひとつしかない命を大事にして欲しい。
それに行きつく。

言われるまでも無い、と想いながら、実際には軽視している。
毎日テレビニュースで読み上げられる事故や事件を聞いていれば、そうとしか思えないだろう。

内容で気になったのは、宗教観の違い、ということ。
当時テレビでも話題がでたが、日本人以外の乗客の遺族は、遺体を取り戻すことに執着をしない。
「死んだ」という事実を確認できれば、あとは魂のない入れ物だから、現地で荼毘に付してもらえればいい。
そういう考え方だ。
例を挙げればとアメリカでの航空事故で、両親を失った人。
飛行機事故を知らされ、現地を見て、是なら誰も生きて入られないと思い、遺体も遺品も確認することもなく死亡を認めて補償交渉に入った、ということである。
こんなことが外国では当然として行われているのだという。

日本人はこのことをどう思うだろう?
そんなやり方を認めるだろうか?

多分、認めない。
どんな形になっていようとも、遺体を、遺体の一部であると信じられるものをその手にするまでは、決して認めない。

そう。
日本人は違うのだ。
シベリア抑留置の土を。
遠い南の島の土や石を。
海の水すらも、その人もからだの一部と信じて取り戻そうとする。
日本の国土に還そうとする。

"何か"を連れて戻ろうとする。

無宗教を標榜する日本人が信仰するのは、"日本"というこのの果ての小さな島そのものなのだろうか。

失ったものは帰らない。
二十年経とうとも、五十年たとうとも、悲しみは癒されることは無い。
それが過ちによるものであればなおさらの事。
防げ得るものであったのなら尚のこと。

遺された我々の胸には、後悔ばかりが降り積もる雪のように静かに層をなしてゆく。
そんな気がする。

ISBN:4062565153 文庫 飯塚 訓 講談社 2001/04 ¥714

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