人、人にあう。

2005年10月24日 読書
人というのはふしぎな精神の働きをもっており、他人を侮蔑すると、感情の濃度が高くなりすぎて、精神の働きを鈍化させ、人としても成長をとめてしまう。


生きるということは、起つ、ということだ。自然の静謐に異をとなえることだ。さわがしさを放つことだ。自分のさわがしさを嫌悪するようになれば、人は死ぬ。


どちらも「楽毅」第4巻からの引用である。
が、私たちが今、この高度に自動化された乾いた社会で生きている今ですら、これは真実だ。

下手に隠棲せず、人としてまだまだあがきながら生きてゆくことを後押しされたような、そんな気分になる。

勇気を与える言葉だ。

宮城谷氏の作品はいつも力を与える。
目に見えないなにかを与える。

氏は歴史をひとつの道具として人間を描く。
それは歴史小説という名で、人の生き様を人に"見せる"
ことではないか。
だからこそ我々は、共感し、涙し、大いに感情を揺さぶりもする。

歴史とは、単なる暗記の対象ではない。
いわんや、ただの試験のための学歴のためのステップではない。

人の生をそのなかに含んでいるからこそ、何千年と経て尚、人の心を揺さぶり動かすことも出来るのだ。

だから。
歴史をどう見るか、どうとるかは、すべて受け手の器量次第なのである。

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