著者は日本で最初の写真評論家である。
(と解説にある)

アサヒグラフやその他に寄稿された彼の文章をは、50年前、古いものでは70年から前のものであるから、著者が生きた時代がどういう時代であったかは分かるはずだ。
戦後直後のこと、戦前のこと、高度成長期のころのこと。
多岐にわたって出てくる。

著者は1898(明治31)年に愛媛県・松山市に生まれた。
裕福であった家の子である。でなければ、写真だの東京帝大とはいえ美術史学科だのに"うつけて"はおれなかっただろう。ちょっと…いや、かなり羨ましい(笑)

「写真に帰れ」とは、
古い芸術写真とは訣別すること。
写真の機能性を認識し、写真の機能としての社会性を重視せよ。

これは当時サロン写真だの芸術写真だのの一方向へ偏って走っていた写真世界に対する警句であるという。

正直に言えば。
最初の「写真性と反写真性」、「写真論の黎明」あたりはすっとばした。
流し読みである。
ごめんなさい。
観念的過ぎて、抽象的過ぎて、よくわからない、というのが私の本音だ。(笑)

その後の、たくさんの写真家たちの話に移ると、俄然面白くなって来たのだからその辺は許していただこう。
女性を撮るから、裸婦を撮るからと、それだけで「女好き」と言われた写真かもいたという。
あんまりだ(笑)
なんだか可哀想…。
さて、本文中に引用された文章で気に入ったところを孫引きしておく。
確かに日本の仏教美術の様式は、朝鮮中国などから伝承している。だからといって、日本の仏教美術が、朝鮮、中国のイミテーションにすぎないとするのは、あまりに皮相な、形式的な見方である。たとえ形式は彼に借りているとしても、内にこめる精神は我のものであり、しかもその深さにおいては、比較にならない。
…物を対象としても、事柄を踏まえないかぎり、深い写真は撮れない。逆に事柄を対象としても、物を踏まえない限り、力強い写真はできない。物を対象として、事柄を踏まえないと、ただ物々(ものもの)した写真になる。…物を物として撮るだけなら記録する手段としてのカメラ・メカニズムだけでこと足りる。(「撮りつづけた日本の心−土門拳の抵抗精神」より)

また構図にしても、古い絵画の構図にしたがわなければならないとされていました。例えば、水平線は曲がっていてはいけない。それは画面の中央にきてはいけない。画面の上部または下部の三分の一くらいのところになければならない。前方にも何も無い平面があってはいけない。画面の縁と平行に主要な線が在ってはならない…(「写真的表現の特質について」より)

ちょっと吃驚…でも、実際には私自身も、たくさんの写真を見て、目が肥えているつもりでそういう制約に縛られているのかもしれない。
…と、ちょっと思った。

ひとつの"写真"が話題になれば、それはすぐさまブームになって、次のコンクールにはそのような写真が氾濫する。
著者が苦い口調で批判する。
それは、かの時代から半世紀たった今でも、いえることだと思うからだ。

あーでも。
「写真は自分が楽しむだけのものであってはならない」
は、非常に難しいです、先生!
アマチュアカメラマンも、写真の向上のために何かを胸に秘めて目標を決めて上昇志向で…とか言われても〜〜困ります〜。

だって。
カメラが大好きな日本人。
老若男女おしなべて、カメラ好き。
日本人!といえば外国人でも"カメラだ!"と叫ぶほどなのに、それほどなのに、やっぱり「自分が楽しむために」写真を撮っているのだし。
いつもコンクールで批判されようとか、それによって内面を上昇・昇華させようとか、そんな大それた事を考えている人って皆無とは言わないけど少ないと思います…。
そう思えます。
使い捨てカメラを抱えてパシャパシャやってるおばちゃんとか…見てたら…ね?
だからそんな難しいことを…50年も前に言われても〜〜〜(笑)

ISBN:4582231144 単行本 大島 洋 平凡社 2005/10 ¥2,940

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