環境考古学…つまり、トイレとかゴミ捨て場なんかに残っているモノから、当時の人が何を食っていたかがわかる。

食生活が分かれば、文明の程度も分かる。

大型魚をとっていたなら網をつかっていたな、とか。
沖合いにしかいない魚だったら舟を使っていたな、とか。
獣を食べていたなら、既に家畜をもっていた、とか。

まぁいろいろ…分かる。
分からなくてもいいことまで分かってしまった。

平安時代の貴族の生活…霞がたなびく(これは屏風絵などの影響)優雅な屋敷生活。
だ〜が、しかし!
垂れ流し、だったそうだ。
溝があって、とのもひめも使用人も。
それが市街地を流れてゆく〜。

近世のパリもええかげん汚い街だったというが、それに比するのではなかろうか?
ま、石じゃなくて土で出来てる都だからまだマシ(?)だったかもしれないが。

優雅な平安貴族…牛車で優雅に外出…しないと、とんでもないものが裾についたりにおったりするからなのかも知れませんなぁ。

それと。
縄文人が豚を飼育していたか否かの問題で、フィリピンじゃ今でも半野性半飼育状態だとフィールドワークしているくだりがある。
囲いもなく、小屋もなく、勝手に豚が村に来て餌を食べてる。
何しろ探さなくても、ここに来れば餌があるから、入り浸るのだ。
適当な大きさになればその中から潰して食べるという。

縄文人もこういう形態で飼ってたかも知れない、と言う話。
……フィリピンの田舎までいかんでも。
と私は思った。

何故なら。
お隣中国で、街中で勝手に餌をあさって歩き回る豚を私は見たからだ。
大同市郊外で、小雨の振る中だった。
野菜を積んだリヤカーを見過ごしていた時、足元でなにやら蠢く黒い物体に気がついた私。
なんと、豚!
道にこぼれた野菜くずをおって、町の真ん中の道路を堂々と歩いて行かれたのだった。

な〜んにも繋いでない。
首輪もしてない。

あれって、飼い豚?
犬も食用になっていた、というのは今更吃驚する事実ではない。
母の田舎では「赤犬は冷え症に効く」と言われていた。
普段は狩りの相棒で、飢饉になったらご飯にしてしまうなんて、なんて一挙両得…って、今の愛犬家には考えられないだろうね。

ところで、獣の肉を食べるなんて!
と鎖国時代の日本人は言っていたはずだが、意外に食べていたらしい。
肉を。
それも馬や猪だけでなく、鼠とか〜犬とか〜まで。
とある藩のご重役の屋敷跡から"遺産"が発掘されているらしい。
(鼠と聞いて驚くなかれ。某英国海軍では、孤立した軍艦のなかの貴重な蛋白源だったのだから。食糧不足のときは乗務員の間で高値で売買されたらしい。さしずめネズミ・オークションってやつだな。)

流石に「なまもの食い」は恥ずかしくて、庭などに埋めて隠したらしい…。
幕末の異人さんを「獣の肉を食う!」とか言って攘夷の対象にしたのは、あれはなんだったんだろう…?
きっと、庶民だけなんだね…肉の味を知らずに損をしていたのは。

言うこととやる事が違うのは、特に為政者にその傾向があるのは、昔からのことらしい。

ところで、犬はただ単に使われて食われていただけではない。
平安時代の絵巻物にもあるように、飢饉・疫病・貧困などでまともに死体の始末が出来ない時、死体は彼らのご馳走になっていたのだ。
普通の死体はまあ…疫病はさすがにまずいんじゃないかと思うが…そういう問題でもないか。

思うに人間と犬は、表向きは和気藹々と中がよさそうに見えて、その実千年以上の昔から、"喰うか喰われるか"の戦いを戦ってきたのだなぁと感慨を深くしたのである。

「環境考古学への招待ー発掘からわかる食・トイレ・戦争ー」より

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