神戸ものがたり

2005年7月9日 読書
私は神戸が好きだ。

宝籤で1億円が当ったら、神戸に別荘を持ちたい!
それが私のひそかな"夢"なのだ。

著名な歴史小説家である著者。
彼の人が、阪神大震災に六甲の自宅で被災されていたこともよく知られている。

本作品は、神戸にポートピアアイランドが出来る前のこと、港がコンテナ化される以前のこと、古き神戸の姿も描かれて、私のような門外漢でも懐かしく歴史を辿ることが出来る。

もともと神戸と言う町は、山を切り開き、その土砂で海を埋め立て町を作る。
切り開かれた山にも町を作る。

そうして土地の凹凸を平均化してしまうことで広がった町である。
ホテル・オークラ近くの博物館でも、その旨ジオラマで説明がされていた。
とはいえ、海と山に挟まれた町は、決して歩きやすい、広大な平野の町ではない。
息を切らして歩かねばならない坂の町である。
いかに海風が心地よかろうとも、風に晒された洗濯物は潮っぽくならざるを得ないだろう。

だから思う。
あの、坂の町にどんな魔性が潜んでいるのだろうか。
これほどまでに人の心を惹きつけるとは。

神戸よ
我が愛する神戸のまちが、潰滅に瀕するのを、私は不幸にして三たび、この目で見た。水害、戦災、そしてこのたびの地震である。大地が揺らぐという、激しい地震が、三つの災厄のなかで最も衝撃的であった。
私たちはほとんど茫然自失のなかにいる。
それでも、人びとは動いている。このまちを生き返らせるために、けんめいに動いている。亡びかけたまちは、生き返れという呼びかけに、けんめいに答えようとしている。地の底から、声をふりしぼって、答えようとしている。水害でも戦災でも、私たちはその声をきいた。五十年以上も前の声だ。いまきこえるのは、いまの轟音である。耳を掩うばかりの声だ。
それに耳を傾けよう。そしてその声に和して、再建の誓いを胸から胸に伝えよう。
地震の四日前に、私は五ヶ月の入院生活を終えたばかりであった。だから、地底からの声が、はっきりきこえたのであろう。
神戸市民の皆様、神戸は滅びない。新しい神戸は、一部の人が夢みた神戸ではないかもしれない。しかし、もっとかがやかしいまちであるはずだ。人間らしい、あたたかみのあるまち。自然が溢れ、ゆっくり流れおりる美わしの神戸よ。そんな神戸を、私たちは胸に抱きしめる。

震災直後の1月25日の神戸新聞の朝刊に載せられた、氏の文章である。
神戸新聞は壊滅的な打撃を受けたが、災害時相互援助協定のある京都新聞の援助を得て、一日も休まずに発行された。
当時、京都新聞をとっていた私たちもこの状況を知っていた。

などということを、あれやこれや、今でも鮮明に思い出せる。

京都は幸いにして災害を逃れた。
新幹線もその日のうちに動き出した…京都までは。

毎日、頭上を飛び交うヘリコプター。
(犠牲者を焼き場に、傷病者を病院に運ぶのだろう)
あっという間にケタをまして行く犠牲者の数。
(目の痛みに耐えながら、友人の名を探し、まだ見つからないと、ほっとする、その繰り返し)

震災の2ヶ月後、まずJRが開通を果たした。
私もまた神戸のまちを訪れ、友人の顔をみて、ようやく安著した。
そのとき、神戸の人たちは、下を向いてしょげ込むばかりではなかった。
「この災害をみてください」
彼らは異口同音にこういった。
「まちが、人が、こうなるのです」
だから、同情をしてくれ、ではなく、私たちもあなた方も、これからの災害対策を考え直さねばならない。
より良い方法を考えていこう、と。
前を向いて、彼等はそう言っていた。

心の強さを、私はただそれを感じた。

彼らは、神戸は滅びないと信じていたのではないだろうか。

人災ではなく天災であるからには、再び三度、誰かの頭上に落ちるやも知れぬ。
だが、我々は生まれたからには生きてゆかねばならぬ。

出来ることならば、健やかに。
出来うる限り、幸福に。

人もまちも、同じことだろう。

私は神戸が大好きだ。

ISBN:458276228X 単行本(ソフトカバー) 陳 舜臣 平凡社 1998/01 ¥798

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