柴五郎という人をご存知だろうか?
私は知らなかった。
(恥ずかしながら…)

それでも、幕末〜明治維新の頃に会津で生まれ育った人、と言えば彼の生き方のすさまじさは想像できる。
明治政府は、佐幕の態度を貫いた会津に対しては、徹底的に嫌がらせをしたものだ。
生きてゆけずに、海外へ移住した人々も多く、移住した先で血流を閉ざした人も少なくないという。

同じ日本という国に生まれながらの近親憎悪。
なんともあさましいことである。

柴氏は、そんな逆境にもまけず大将にまで登った人であると言う。
そして、彼の名を高らしめたのが、世界的に(世界史で?)有名な"義和団事変"である。
彼はそこにいた。

ついでに言うならば、この歴史的事件を扱った映画「北京の55日」もなかなかの名作である。
守城側の日本軍の指揮官が、救援の友軍の指揮官と出会ったときにはみょーな挨拶をしているが、これはきっとアメリカの陰謀無知のせいであろう。
大目に見よう。

柴五郎氏は、包囲された各国の寄せ集め軍を指揮し、守り抜いた人である。

ところで、当時北京で篭城した中には、民間人も多かった。
軍人以外の、政治家たちも多かった。
そのあたりのちぐはぐさも、「北京の55日」に描かれている。
義和団の方も、どうも真面目に攻めていたわけではないらしい、という見解もある。
まぁ、それは、必死で篭城している本人たちには分かるわけは無い。

その中には、学者もいた。
中国学者・漢学者という人たちである。
55日も迫り来る義和団の群れに対抗し、篭城した学者さんたち…の中に、大学の恩師の祖父君がおられたのだと、今頃知った。
「あの先生のあの性格は、おじいさま譲りだろうか…?」
ふと、そんなことを考える私であった。

歴史は繰り返す。

会津は滅び、大日本帝国は滅んだ。
彼はその両方を、目の当たりにした人でもある。

私は、この国の滅びる姿を見たくはない。
ただ一度でさえも。

ISBN:476982338X 文庫 村上 兵衛 光人社 2002/02 ¥1,100

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