久々に痛感。

高島氏の「水滸伝本」
な〜んだ、入門本か〜と馬鹿にしつつ読んでいたら、その私の傲慢に冷や水をかぶせるよな発言…もとえ、文章が次々と。

それもまぁ淡々と、小学生に読んで聞かせるかのように穏やかに語るから、
「こやつ(失礼!)なかなかやるな」
とついついこちらもハスに構えてしまう。

小説には、
  importantな人と。
  famousな人。
           が存在する。

民衆がやんややんやの喝采を贈る、たとえば、三国志の関羽や張飛、たとえば、水滸伝の武松や魯智深は後者である。
物語は"有名人"である彼らによって生きるが、彼らがいなくても物語は存在するのだ。

それに反して、実際に物語を動かす"重要人物"が存在する。
たとえば、三国志の曹操と諸葛孔明(吉川英治先生曰く"三国志はこの二人が動かしている"も凄い発言だと思います)、たとえば、水滸伝の呉用…。

決して派手ではないし、目立たない。
でも、彼らが物語の首根っこを捕まえているのだと言う。

なるほど。
なんだか、分かる気もするぞ。

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