亀の好きな外交官氏の二冊目を入手。
こちらは亀の話ではなく、外交官として生きた著者の、エッセイ的なもの…のようだ。

いい加減亀には参ったので、浮気してこちらに移行してしまった。

嫌、勿論、亀以外にもいろいろ登場予定の動物はあったようだけれどね。

なんか、こっちの方がずっと面白そうだったので…つい。

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昭和16年に外交官試験に合格し、仏蘭西への留学も決まっていたのに、勿論戦争ですべてパーである。

その後、占領軍の下ではまともな外交も出来ない。
平和条約を結ぶまでは、アジアも欧米も全部「敵地」だ。
大使館も公使館もおけるわけがなく、お情けでほそぼそと事務所を設置した程度…。

欧羅巴への赴任の旅も、貨物で2カ月がかり。
(普通の客船なら1ヶ月)
途中の寄港地では、もちろん上陸はできない。
(敵地だから)
シンガポールでは、レセプションに参加を拒否される。
(イギリス統治下だから)

そして何よりも。
戦後の貧しい食生活のため、日本人は皆、肉や魚はほとんど食べていない。
香港寄航中に甲板から見た、港湾労働者の白米が一杯のお弁当を見て、「ああ、あれだけ白いご飯が食べられたなら…」と羨ましく思った、というのだ。

  ………。

船中の豊かなバイキング料理(貨物船はスウェーデン船籍だった)をがっついて食べたため、蕁麻疹を発症した著者であった。
「しばらく野菜だけを食べなさい。」
そういわれて実行したら、綺麗に治ったという。

急激に栄養のよいものを取ったから、というのが理由。

  ………。

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このくだりを読んで、笑うと同時に当時の日本の貧しさが半端なものでないことを実感する。
(ちょっと涙ぐんでしまった)

私が産まれたのは、既に高度成長期の日本であったから、貧しい日本は実体験としては知らない。

戦後貧しかったことはなんとなく、常識的には理解できるのだが、1950年代であっても、日本国民はこれほどに貧しかったのか。
知らなかった。

だが。
1950年代といえば、高度成長期への足がかりと言うか、これから発展しようと言うその前段階である。
「追いつけ・追い越せ」
への第一歩が、いよいよ記されようという時代である。

叩きのめされ、打ちひしがれ、焼け野原となって何もなくなった日本が、戦後20年ほどで成し遂げた復興を、日本人自らも「奇跡」と呼ぶ、呼びたいと思う、その当事者の気持ちがわかるような気がした。

阪神大震災しかり。
寒風の中、身を寄せ合って路上に座る年配のご婦人がいった科白を覚えている。
「戦後のように、焼け野原から、もう一度やり直せばいい」
彼女はそういったのだ。
その力強い言葉は、日本の復興を成し遂げた彼女らの世代が持つ、強い自信ゆえに出るものだろう。
私たちの世代には、それだけの力も強さも自信も…多分、ない。

数ページを読んだだけでこれだけの驚きに出会えた本。
著者の描く50〜60年代の日本の外交。
復興へと駆け足で駆け上がる日本の姿を海外から、当時の"外国"を見聞する外交官の目で、語って見せてくれるのを楽しみにしている。

ISBN:4309010253 単行本 平原 毅 河出書房新社 1995/12 ¥2,548

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