後漢王朝の衰微をず〜っと辿って、宦官の台頭と専横化、それを憎む官人との熾烈な戦いばかりが続いた「宮城谷・三国志」であった。
が、2巻目の終わりごろ、曹操が、孫堅が、劉備が、ようやく生まれ、3巻目に入るといち早く曹操が活躍しはじめる。
う〜ん。
やっと馴染みの顔が出てきたかな。
しかし、後漢末期の抗争をきちんと語ろうとすれば、宦官から始めねばならないのは当然で、このすさまじい争いを延々と描くほう(作家)も読むほう(読者)も大変。
もともと大陸(中国)の権力争いや"山が動いた"後の仇敵への仕返し、その執念深さは日本人には付いてゆけないほどのすさまじさがある。
それは簡単な中国ものを一読しただけですぐに判明する。
権力が片方に寄れば、嘗ての仇敵の墓を暴いて、死骸に鞭打って、首を切って、棄市(市場に死体を晒す)するぐらい当たり前のことのように行われる。
そうやって、自分の鬱憤を晴らすわけである。
上手く相手を罪に陥れることが出来たなら、勿論その親族や関係者も同様に処刑する。
なぜなら、時が変わり風が変わったとき(或いはそうならなくても生き残りを遺しておくと)、今度は自分や自分の親戚や周囲の者たちが、その生き残りに同じことをやられるからである。
皆が、「そうするのが普通」と思っているからである。
実際、中国の歴史では、山ほどの例がある。
父と兄を殺され国を追われた呉子胥をはじめ、長い年月をかけて雌伏し、恨みを重ねて相手を滅ぼしたという例は、賛美されこそすれ、非難の対象にはならない。
我々から見れば、とんでもなく「しつこい」「陰湿」に思えても。
そういうことがあるから、その防御策として、先に"敵の"一族を誅滅する。
「やられる前にやれ」
である。
その凄まじさに背筋が凍る。
ところで。
滅びるべくして滅んだ後漢王朝の姿がいよいよ明らかになってきた。
しかし、人間の尊厳とか志とか、罪とか、時代に翻弄され時の権力者に歪められ、名も命も歴史の中に埋没してしまう現実の過酷さをしみじみと感じる。
人も歴史も一面だけで捉えることは本当に危険である。
ということを、再確認する。
今の、現実の社会においても、
「良薬口に苦し」
を今一度噛み締めるべき。
それにしても。
国が滅びる時は、賢人が車に満載されるぐらいいてもその落下速度は止められるものではない。
悪い時には悪いことが実に都合よく連鎖して車輪を回す。
歴史をまわす。
歴史を学ぶということは、過去にあった悪事を確認し、己の行いや現実に照らし合わせて"同じ轍を踏まない"ように警戒することでもある。
本を読み歴史を知ることで、一人が一人分の人生だけではなく、何十人何百人もの人生を辿ることで、よりよい方向を見出す指標にすることが出来る。
古来人気のある作品と言うものは、多かれ少なかれそういう素養をもっているものだ。
大方2千年近く前の歴史である三国時代が、今なお、これほど人気があるのも、単に個性の人気だけにとどまるものではない。
気がつかぬうちに、自分の生きる指標とか戒めといったものをその物語の中に感じているからだろう。
それにしても。
3巻目でようやく期待のメインキャスト登場。
時代も大きく移り変わり、小説の舞台も、陰湿窮まる宮廷内から外へ外へと広がってゆく。
…は、いいのだけれど、どの辺りで収集が付くのだろうか。
雑誌掲載状況を知らない私には、想像も付かない。
今までの宮城谷氏の長編は、6冊を越えなかったと覚えているのだが、あとたったの3冊で……?
ISBN:4163597700 単行本 宮城谷 昌光 文藝春秋 2004/11/10 ¥1,700
が、2巻目の終わりごろ、曹操が、孫堅が、劉備が、ようやく生まれ、3巻目に入るといち早く曹操が活躍しはじめる。
う〜ん。
やっと馴染みの顔が出てきたかな。
しかし、後漢末期の抗争をきちんと語ろうとすれば、宦官から始めねばならないのは当然で、このすさまじい争いを延々と描くほう(作家)も読むほう(読者)も大変。
もともと大陸(中国)の権力争いや"山が動いた"後の仇敵への仕返し、その執念深さは日本人には付いてゆけないほどのすさまじさがある。
それは簡単な中国ものを一読しただけですぐに判明する。
権力が片方に寄れば、嘗ての仇敵の墓を暴いて、死骸に鞭打って、首を切って、棄市(市場に死体を晒す)するぐらい当たり前のことのように行われる。
そうやって、自分の鬱憤を晴らすわけである。
上手く相手を罪に陥れることが出来たなら、勿論その親族や関係者も同様に処刑する。
なぜなら、時が変わり風が変わったとき(或いはそうならなくても生き残りを遺しておくと)、今度は自分や自分の親戚や周囲の者たちが、その生き残りに同じことをやられるからである。
皆が、「そうするのが普通」と思っているからである。
実際、中国の歴史では、山ほどの例がある。
父と兄を殺され国を追われた呉子胥をはじめ、長い年月をかけて雌伏し、恨みを重ねて相手を滅ぼしたという例は、賛美されこそすれ、非難の対象にはならない。
我々から見れば、とんでもなく「しつこい」「陰湿」に思えても。
そういうことがあるから、その防御策として、先に"敵の"一族を誅滅する。
「やられる前にやれ」
である。
その凄まじさに背筋が凍る。
ところで。
滅びるべくして滅んだ後漢王朝の姿がいよいよ明らかになってきた。
しかし、人間の尊厳とか志とか、罪とか、時代に翻弄され時の権力者に歪められ、名も命も歴史の中に埋没してしまう現実の過酷さをしみじみと感じる。
人も歴史も一面だけで捉えることは本当に危険である。
ということを、再確認する。
今の、現実の社会においても、
「良薬口に苦し」
を今一度噛み締めるべき。
それにしても。
国が滅びる時は、賢人が車に満載されるぐらいいてもその落下速度は止められるものではない。
悪い時には悪いことが実に都合よく連鎖して車輪を回す。
歴史をまわす。
歴史を学ぶということは、過去にあった悪事を確認し、己の行いや現実に照らし合わせて"同じ轍を踏まない"ように警戒することでもある。
本を読み歴史を知ることで、一人が一人分の人生だけではなく、何十人何百人もの人生を辿ることで、よりよい方向を見出す指標にすることが出来る。
古来人気のある作品と言うものは、多かれ少なかれそういう素養をもっているものだ。
大方2千年近く前の歴史である三国時代が、今なお、これほど人気があるのも、単に個性の人気だけにとどまるものではない。
気がつかぬうちに、自分の生きる指標とか戒めといったものをその物語の中に感じているからだろう。
それにしても。
3巻目でようやく期待のメインキャスト登場。
時代も大きく移り変わり、小説の舞台も、陰湿窮まる宮廷内から外へ外へと広がってゆく。
…は、いいのだけれど、どの辺りで収集が付くのだろうか。
雑誌掲載状況を知らない私には、想像も付かない。
今までの宮城谷氏の長編は、6冊を越えなかったと覚えているのだが、あとたったの3冊で……?
ISBN:4163597700 単行本 宮城谷 昌光 文藝春秋 2004/11/10 ¥1,700
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