天下を取るのが、一番の大盗賊。
なんて言い方も世間にはあるが、中国では"盗賊"とは何を指すのだろうか。
その辺のところを、わかりやすく、笑いを多く交えながら書き綴る本である。

最初っから随分と笑わせていただいた。

まず。
だいたい物語の中で盗賊は、貧しい農民を襲って少ない財貨を搾り取る。
自衛の手段を持たない農民は、涙ながらに耐えるしかない。
「七人の侍」的な話だが、まずこれは
(中国)共産党の作り話である

という。
冷静に考えてみよう。
貧しい農民を襲って、いったどれだけの旨味が有ろうか。
それならば、"豪農"・"地主"と呼ばれる名家・階級を襲ったほうが遥かに見入りがいい。

それは、中央から派遣されてきた地方官も同じで、何かと因縁をつけて地元の名家から財産を取り上げようとする。
手っ取り早くするには、冤罪で首を刎ね、全財産没収とすればよい。
そういうことが普通に行われてきたのも中国の歴史であるという。
では、取られたほうは黙っているかといえば、そうではない。
たとえば、山にこもり、賊となる。

山にこもった連中は、地元の名士であるから、地元の者たちはそこへ集まってくる。(彼らもすでに、普通にしていては食っていけない状況に陥っていることが多いので)
徒党を組むことで、盗賊となる。
官以外の、武装した、実力で要求を通そうとする、集団

である。

ここで、「金返せ」ではなく、「国が悪い」「政治が悪い」「地方長官リコールだ」などとやり始めると、ミニ水滸伝の出来上がりである。
盗賊には文士(文人)は必ず付いており、秘書的な働きをしていたと言うから、天下・国家を論ずるようにもなると言うものだ。

成る程。
納得す。

ところで、中国での身代金目当ての誘拐は、
爺さんを狙う

親を誘拐された子供ほど、言いなりで金を払うのものはないし、子・孫等々、出資する人間が多いからごっそり稼げると言う発想だ。
子供を誘拐されても、親からしか身代金が取れないのとは随分違う、とそう言う事がいいたいらしい。

孝心、と言うものを重視する中国らしい考え方である。
(ただし、ばあさんが狙われたという話は何故かないらしい)

そう、嘗て漢の高祖・劉邦が項羽の軍から逃げる時、自分が乗った馬車から二人の子供を投げ落とした、という話がある。
これは、「親を助けるために、子供はその命を投げ出すのも本懐である」(だから馬車を軽くして、劉邦が逃げ切ろうと言うのだが)という親優先の考え方が当たり前であるからだ。

日本とはずいぶん…ちがう、と思うだろう。

そして、では貧農はまったく平気だったかといえばそうではない。
やはり、ドラマのように映画のように、襲われていた。
しかも、盗賊は次のことを考えて、程ほどに略奪するが、盗賊を取り締まる兵隊は、盗賊に対しては程ほどの取締りをし(消滅すると自分の仕事がなくなるから)、その分無力な貧農に対して盗賊以上の略奪を行ったと言う。

だから、中国では、20世紀に至っても、「兵隊は盗賊と同一」という思想が中国人の頭の中には有ったらしい。

それが原因で、義和団も李鴻章も負けちゃったのだろうか…?

その後、「これではいかん」と外国から教師を招いて軍の教育を行ったり、海外留学で勉強させたりと軍兵の改革を行ったらしいのだが…
その日本へ送った軍人の卵が革命思想に目ざめて、帰ってから清王朝をひっくり返してしまったのだから、あとから考えれば、ゴロツキ兵隊のほうが安全であった。


チャンチャン♪

ISBN:4061497464 新書 高島 俊男 講談社 2004/10/19 ¥840

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