最初に気がついたのが、本の帯(発売当時)の消費税が3%だってこと。
本体981円。税込み1,010円。
同じ本で同じ本体価格で、いまや1,029円也。
…ちょっと感慨深くなってしまった。

所謂、外国暮らしの長い日本人が、短期間帰国して、あまりの日本の状況の酷さに吃驚仰天して、比較論的エッセイを綴る。
というシロモノである。

これが笑って済ませられる問題なら、日本人には寛容に受け入れられる。
或いは、「確かにその通り。日本は間違っている」
と思えれば、ウンウンと頷きながら読み勧める。

が、生活の根深いところ、日本人固有の意識まで至ると、同じ日本人の発言ゆえによりいっそう憤慨する。

…というか、
「外国はそうだろうけれど、日本ではそれがふつーでしょ?何が悪いの?」
と思える部分を攻撃されると、まだまだ"閉鎖的な"日本人はプライドを傷つけられた気がして、怒ってしまうのだ。

そういうことに気がついてから、こういう本は「どうぞ笑って、少なくとも納得して読めますように」と思う癖がついたようだ。
元来、この手の本が好きなだけに、やっかいなことである。

だが、しょっぱな、笑わせてもらった。
「うちのとなりに来て住まわれては困る。」

純粋な文化を持つわたしたちの県に異国からの流れびとに住みつかれては困る…。」日本は閉鎖社会なのだ。

難民・流民の移住(保護)に対して出た意見なのだそうだ。
確かに、閉鎖社会だ。
いまだに鎖国しているようなもんだ。
私が住むのは「千年の古都」と自他称する古びた町だが、外国人が隣に住む、避難民が近所にいる、ことで"ヒナン"的な言動をする人に遭ったためしがない。
(それとも私が知らんだけか?)

とりあえず、私の周りにそういう言動を吐く輩はいないのだが…。
ミス・メープルは、たしか英語とフランス語しか出来なかった筈だ。が、いま今日、ミス・メープルほどの名探偵になりたかったら、このロンドンでは、少なくとも十ヶ国語に通じなければどうにもならない。アガサ・クリスティが生きていたら、ポワロ、、メープルの他にもひとり、語学達者の新人物をつくり出さずにはすまなかったと思われる。とくにも、ブラウンズのような立派なところで、編み物をしながら、お茶の香りの楽しみの合間に、耳に入って来る会話の、ちょっと妙と思われるものを、心にとめて分析し、その会話の主の行動をじっと観察するなどという芸当のためには、十ヶ国語だって実は不足だ。
探偵業も楽ではない。

つまりは、探偵受難時代、ということでしょうか。
以上EC(いまではユーロ)成立による、英国の首都の人種と言語の雑居状態を説明したものである。

話はこれから本番であるが、最初の導入部で「確かに!」と私が拳を握り締めたのが、日本の音の氾濫と強制である。
聞きたくも無いのに、

大音響でカーステレオを流し、なぜだか窓を全開している。(大音響で聞きたいなら閉めとけ)
真夜中だというのに、あのピー!という"超音波"を馴らしたままで、住宅地のど真ん中に居座る焼き芋屋。(通り過ぎるというなら判る。一箇所に居座るなら、音は切るべき。)
店の、外にまで漏れる宣伝や音楽。(それがキライな歌であり、声である場合もある。)
そしてなによりも、街宣車。(思想団体も選挙の車もひっくるめて。また、朝の7時すぎから大音響で宣伝をして回っている"飲み屋"の宣伝カーなんてのもあるのだ。)

「そうそう。そーなんよね」
と、走馬灯のように頭の中を駆け巡ったのであった。

だが、著者は言う。EC各国から、或いはもとコモンウエルス(英国連邦。平たく言うと、植民地)からやってきた雑多な人種の人々のお陰で、「ご飯がまずい」が緩和されつつあるのだと。
ただの茶色い水だったものは、いまや薫り高いエスプレッソコーヒーに。
生ぬるいビールに代わって、フランスの葡萄酒が。

そりゃーよかったね。

ISBN:4120012271 単行本 犬養 道子 中央公論新社 1983/01 ¥1,029

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