おけらだってーみみずだってーあめんぼだってー
言葉。
つまり言語も生きている。
そして温度差があって、聞き手話し手によって、その与える影響(力)が大きく変化する。
何を良しといい悪しというかは、時代にもよるけれど。
日本語は本当に変化が激しい。激しすぎて就いてゆくのも大変かも。
中には驚く発見もあって、
というのに吃驚仰天。
そんなに"由緒ある"言葉だったとは。
1945年8月15日は、
終戦と書けば記念日にも出来るが、敗戦と書くとそうは行かぬ。
逃げる。うやむやにする。
それは日本人のもっとも得意とする分野である。
田舎、という言葉に対する考察もある。
かく言う私も学生時代、この言葉で失敗した。
「田舎」には「都」や「中央」に対する蔑みの意味合いが含まれている…事もある。
だが、必ずしもそうではなく、温かい、あたかも母の懐のぬくもりにかえるがごときの憧れを含んで言う場合もある。
私は友人に、
「次の連休は田舎に帰るの?」
と問うたわけであるが、それは勿論、蔑んで
「あんたの家は鄙びた田舎にあるのだ」
なんて思って言ったわけではない。
「ふるさと」
「親御さんの家」
「実家」
ぐらいの気持ちで発言したのだが、友人は顔色を変えて怒ったのだった。
私の言葉に、友人は「蔑み」「蔑視」を見たのだ。
(見つけたのではない。そこのところに念を押したいのだが。)
こんな単純な一つの言葉にも、このように温度差が出来てしまう。
どのように使うべきか…日常では、誰もそんなこと考えながら使っちゃいられないが。
言葉。
つまり言語も生きている。
そして温度差があって、聞き手話し手によって、その与える影響(力)が大きく変化する。
何を良しといい悪しというかは、時代にもよるけれど。
日本語は本当に変化が激しい。激しすぎて就いてゆくのも大変かも。
中には驚く発見もあって、
「ヤバイ」のもとになった「やば」は「不都合」とか「危険」とかいう意味で江戸時代から使われていたらしい。
というのに吃驚仰天。
そんなに"由緒ある"言葉だったとは。
1945年8月15日は、
終戦と書けば記念日にも出来るが、敗戦と書くとそうは行かぬ。
「敗戦記念日」というようなものを国民的行事にはしにくかっただろう
逃げる。うやむやにする。
それは日本人のもっとも得意とする分野である。
田舎、という言葉に対する考察もある。
かく言う私も学生時代、この言葉で失敗した。
「田舎」には「都」や「中央」に対する蔑みの意味合いが含まれている…事もある。
だが、必ずしもそうではなく、温かい、あたかも母の懐のぬくもりにかえるがごときの憧れを含んで言う場合もある。
私は友人に、
「次の連休は田舎に帰るの?」
と問うたわけであるが、それは勿論、蔑んで
「あんたの家は鄙びた田舎にあるのだ」
なんて思って言ったわけではない。
「ふるさと」
「親御さんの家」
「実家」
ぐらいの気持ちで発言したのだが、友人は顔色を変えて怒ったのだった。
私の言葉に、友人は「蔑み」「蔑視」を見たのだ。
(見つけたのではない。そこのところに念を押したいのだが。)
こんな単純な一つの言葉にも、このように温度差が出来てしまう。
どのように使うべきか…日常では、誰もそんなこと考えながら使っちゃいられないが。
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