それぞれ、英国産とフランス産。
だが日本産では決して無いものだ。

この本。
「エープリル・フール物語」とはいえ、それだけにはとどまらない。
たいしたねこっかぶりの本である。
著者が暮らした三国(英・仏・日)の国民性による「笑い」の差を明確・厳しく示すその鋭さには脱帽モノである。

特にエスプリを要するフランス人の鋭さ、笑いの方向性・フランス人の心の余裕、は絶賛もの。
それに続く英国もユーモアに関してはなかなかやる。

あと千年たっても希望が持てないのは日本。

理由は
「自分の事を笑えないから」

だまされたって良いじゃないか。
だまし返してやれば。

アメリカだって、あのソ連(本当にソ連時代の話)だって公共電波を相手に、世界へ跳ぶ報道ニュースを相手にまんまと一杯食わせるぐらいの余裕をもっている。

いちいち怒り、いちいち訴え、一人も笑えないのは日本だけ。
これは"真面目"という仮面をかぶった"余裕なし"の精神であり、社会であるだけのこと。
「嘘だとわかっていたけど流した」
それだけのことである、とさらりと言ってのけた。

あ〜あ。
口惜しいなぁ。
なにが残念って、こう言われることが一番残念。

大統領すら強権発動が出来ない、フランスの週刊新聞「キャナール・アンシェネ」(鎖につながれた家鴨)。
その歴史は、「真実であるなら戦うのみ」で戦い続けた歴史である。
あの国民的英雄・ドゴールですら、批判をされるままに放置するしかなかったという。
そのドゴールは政権後期の独裁振りを批判された時、「元首侮辱罪」なるものを適用して、300人以上の報道関係者を逮捕しまくったというのだが、この「キャナール・アンシェネ」には手を出さなかった。
いや、出せなかったと言ったほうが、正しいと思う


こんなマスコミ。
日本には無い。
著者が言うように、日本のは、マスコミと言う名の御用聞き…だから。

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