白川静先生著「呪の思想」読了。
最後のほうに、トンデモない発言…。
中国の場合にはね、異民族は殺すんですよ。中華圏外の者はね、殺して首を取って来て、城門に埋める。この殺した異民族は守護霊として使う。

中国を訪れた時は、古い門には手を突いたりしないようにしようと、私は心に誓う。
戦争で遺棄された屍体があると、それを集めて城門に埋める。

き、気持ちワルイ…。
"強い力をもつもの"を城門に置いて敵に睨みをきかせるとか、長城に人柱をたてるとか、そのあたりまではまだなんとか理解できるけれど。
集めてくるの…?
わざわざ?

死体から、金目のものを戴く近代戦のほうがなんぼかまし。
とどめ。
京都の「京」という字は、城門を示す字ですがね、(略)屍体はこの壁に全部塗り込んで埋めてしまう。(略)魔除けになるのです。

ほ、本当に"魔除け"になるんですか〜?
恨みばかり買ってる気が…呪われそうな気がするんですが…。

挙句、首と胴体を別々に、遠くへ離して置くのは、
首があるとね、復活して悪く働く恐れがある。

ほら。
やっぱり。
祟るんじゃないですか。

平安時代の大乱の有名人・平将門が首と胴体と別々に祭られているのはつまりそのせいである。
この辺は、私たち"とっても呑気な日本人”でもそうだと気がつくことである。

が、かの「神田明神」が「(将門の)身体(からだ)明神」とも言われているとは。
一説によると、だけれど。

古代史ってコワイ部分が多いね、矢張り。

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