文明と文化と私と貴方と世界と
2004年8月14日 読書文明と文化を考えることは、自分が生まれ育った国と、それ以外の国々と、それ以外の国々国で育った人々との係わり合いをも左右することである。
司馬遼太郎氏は述べる。
従って、誰でも参加できるものが文明である。普遍化するものが文明である。
そう述べる。
或いは、
なるほど。
至言である。
だが、
そうなれば普遍性を失い、後退して、
人は文化の中に生きている。
のが人間の能力であると、氏は言う。
そういう賢い一面をもっている動物なのだと述べる。
確かに賢い一面も持つであろう。
地球上のいろんな民族が、いろんな人たちが、自分たちの文化に包まって心地よく生きている。
ならば、そのことを、人の数だけ"文化"が有るということを、皆が理解しなければ不幸であることも明白なのである。
心に響く言葉でした。
この、「以下、無用のことながら」という本文庫は、たくさんの短編、書評やエッセイ、或いは弔辞などが収められた大変はばの広い一冊になっています。
ドッグイヤーが余りにも酷くなり、私は途中から、ページを折る代わりにポスを貼る作業に切り替えました。
たくさんの紙の断片が、司馬遼太郎と言う人の、話し言葉の切れ端やささやかな思いを拾い集めて林立しています。
こうして書き抜き引用することで、私の感じた思いをどう書き表すことが出来るのかと時に迷い、道のりの遠さに無駄に思えるほどです。
最後に一つ。
そういいつつも引用を。
生きている人々の頭上に、あるいは世界を取り巻くように、その人が満ちているからだと。
私自身もそれを感じながら、今日、ようやくこの文庫本を、心穏やかにはさせてくれなかったこの一冊の本を、読み終えました。
司馬遼太郎氏は述べる。
文明はまず民族(文化)をこえていなければならない。
従って、誰でも参加できるものが文明である。普遍化するものが文明である。
簡単なとりきめだけで、万人が参加できて、しかも便利であるものを文明であると考えたい。
そう述べる。
或いは、
文明とは多分に技術的で度の民族でもそれを採用でき、使用できるものを差す。その意味ではローマ字も漢字も文明も属する。別の例でいえば航空機も自動車も一定の操縦法を心得れば万人が動かしうる。また民間航空機に乗ると、乗客は乗務員の指示に従ってベルトを締め、禁煙の表示をみると、タバコをのむことをしない。この点、大韓航空機でもエール・フランスでも同じルールが支配している。この現象を文明とよびたい。普遍性といいかえてもいい。
これに対し、文化は特殊なものである。その家の家風、あるいは他民族にはない特異な迷信や風習、慣習をさす。
「たれでも参加できます」
というのが文明である以上、文明は九度に合理的である。しかし人間は文明だけでは暮らせない。一方において、
「お前たち他民族には理解できまい」
という文化をどの民族でも一枚の紙の表裏のようにして持っている。従って文化は不合理なものといえる。と言う以上に不合理なものであればあるほど、その文化はその民族の内部では刺激的であるといっていい。
なるほど。
至言である。
だが、
文明はかならず衰える。
そうなれば普遍性を失い、後退して、
特異なもの(文化のこと)になってしまう。
人は文化の中に生きている。
「見て、考えて、話し合って、違ういの文化をたしかめあい、そのことを楽しみあう」
のが人間の能力であると、氏は言う。
そういう賢い一面をもっている動物なのだと述べる。
確かに賢い一面も持つであろう。
地球上のいろんな民族が、いろんな人たちが、自分たちの文化に包まって心地よく生きている。
ならば、そのことを、人の数だけ"文化"が有るということを、皆が理解しなければ不幸であることも明白なのである。
他社を理解する、ということから、二十一世紀の幸福は出発するでしょう。他者とは、むろん個人個人の場合もあります。しかし、人間は文化なのです。人間は、生物学的あるいは生理学的ではありますが、それ以上に、文化としての存在なのです。
心に響く言葉でした。
この、「以下、無用のことながら」という本文庫は、たくさんの短編、書評やエッセイ、或いは弔辞などが収められた大変はばの広い一冊になっています。
ドッグイヤーが余りにも酷くなり、私は途中から、ページを折る代わりにポスを貼る作業に切り替えました。
たくさんの紙の断片が、司馬遼太郎と言う人の、話し言葉の切れ端やささやかな思いを拾い集めて林立しています。
こうして書き抜き引用することで、私の感じた思いをどう書き表すことが出来るのかと時に迷い、道のりの遠さに無駄に思えるほどです。
最後に一つ。
そういいつつも引用を。
人間の死がなぜ荘厳なのか。山村雄一先生に亡くなられてはじめて悟らされた思いがしています。
人は、死とともに、哲学になってしまうことを、であります。
生きている人々の頭上に、あるいは世界を取り巻くように、その人が満ちているからだと。
私自身もそれを感じながら、今日、ようやくこの文庫本を、心穏やかにはさせてくれなかったこの一冊の本を、読み終えました。
コメント