宗教いろいろ…
正面から、併行に、ところどころ切ってゆくようにして入って行く、司馬遼太郎氏の淡々とした語り口調が心地よい。

浄土教のなかでも親鸞の浄土真宗の自覚的なお坊さんは、靖国神社には参らないし、お稲荷さんにもむろん参りません。それはつまり浄土教は多神教じゃないからです。
いまはお盆をやりますが、お盆は一種の迷信ですから、其れも浄土真宗はやりませんでした。江戸時代は、他の宗派の信徒たち、普通の檀家の百姓たちがそれを見て、「門徒の物知らず」といったのです。

お葬式をしなかった正規の僧侶たち。
そして代わって室町ごろからお葬式をしていた(一遍上人の)非僧非俗の時宗の徒。
そしてその時宗も、やがて浄土教に吸収されていった。
そして一方、浄土真宗は、他のもの(俗習)には目もくれなかったという。
宗教も生き物だということがよくわかる。
その「もの知らず」の門徒たちが、
江戸時代にも京都に大学相当のものがありましたから、浄土真宗の場合、お寺の息子で、お寺を継ぐ人を、檀家が金を出し合って留学させました。貧しい百姓が、年貢を払ったうえに、一ヶ寺を維持して、さらにその寺の息子を大学まで出していたのです。

心意気なのかな?
いや。すべては信仰心のなせる業、という事で考えるべきか。
でも自分たちの財政が、すべて信者の皆さんの上に成り立っていると自覚しているから……かの拝観拒否(京都であった"古都税"と"京都ホテル建築"の反対運動で行われた、京都市内寺院が一斉に誰に対してであれと門戸を閉ざした事件。観光地・京都の観光客が激減…したのかな?)の大騒ぎのおりも、浄土教の各自い(知恩院や本願寺)は拝観拒否はしなかったそうです。

浄土教が時宗を糾合して言った背景には、こんな理由も大きい。
時宗の人というのは名前でわかりました。ひとつ文字を上に付けて、それで阿弥陀仏という名前にする。それが時宗のクリスチャンネームでした。
ですから能の観阿弥、世阿弥は、正式に言うと観阿弥陀仏、世阿弥陀仏ですが、時宗の人だったのです。なぜ彼らが時宗の徒であるかというと、

日本の社会階級が、そのころには上下の関係をきっちり成り立たせていたためである。つまり下位の者が上位のものと直接に口を聞ける場などない、と言うことなのだ。
だが、観阿弥・世阿弥の能や造園・建築など下位の者が上位のものと"直接"語り合わねばならない、語り合いたい(と特に上位のものが望む)場合、"非僧非俗"がスローガン(というか)の時宗の徒であれば、"方外(無階級=身分制度の外)の者"ということで、可能になるわけである。

(へぇ〜っとこの辺を読んで思わず声が出た。ちょっと脳にしわが増えた。賢くなった。)
足利義政が作らせた銀閣寺の自室の扁額にある「和光同塵」。
『仏の前では自分も含め、衆生は皆平等』
そういう意味である。

う〜ん。上手いこと出来てるな。
それを取り入れていった浄土教が広がるのも当然である。
浄土真宗は蓮如という人を出すことによって、その浄土教のなかでも地方布教率トップの大宗教に成長してゆくのだった。
親鸞自身は、そんなことはちっとも考えていなかったようだ。教団を作ることすら考えていなかったらしい。
「私の信仰は私のためのものであって他者のものではない」と公言していたぐらいだから。

ちなみに、方外の者…の、もっともわかりやすい例は、秀吉に対する”千利休”
彼は大坂の町人階級の出であり、それが茶席において当時の最高権力者と同列に座っていた。(その位置の危うさに、白刃の上を歩いていた、と司馬氏は表現するが)

話はそれるが、この「茶道」というものはなんとも便利な(失礼)もので、織田信長などは本当はそんな趣味はまったくなかったくせに、部将の論功行賞に茶器や掛け軸やらを与えることで応じている。
土地を与えなくて済むこれは、トップに立つものにとっては非常にラッキーだったのではなかろうか。信長って意外にけちみたいだし。(他人事には金を使わんぞ〜って感じで)

ところで、現在普通に使っている言葉には、本来の意味と違って発達してしまったものがある。
親が子供の育て方を間違った、というところか。
そういうものをいくつかあげる。
出世ということばはもとは仏教用語で、諸仏が衆を救済するために仮に世間に出現することをいう。

これは、室町期に僧侶用語になり、
禅宗僧侶のあいだの”方言”だったらしく、『広辞苑』にも「禅宗で、寺院の住持となること、高位の寺に転任すること、黄衣・紫衣を賜ること、和尚の位階をうけることなどをいう」とある。
その言葉が世間に流出して、栄達の意味に使うようになった。

叉、浄土真宗といえば、出てくるこの言葉については、
浄土真宗の坊さん用語で熱心な信者のことを「お他力さん」と言います。他力と言うのは阿弥陀如来のことで、世間でよくいう他力本願のことでは有りません。しょっちゅう新聞に、大臣などが「他力本願はいけません」というたびに、本願寺が抗議を申し込んでいますが、実は他力というのは大文字のゴッドのことで、つまり阿弥陀如来のことです。浄土教では唯一神で、他に神仏を認めませんから、それを他力といい、明治後は絶対他力と言ったりします。

と述べる。

その本願寺が信長の命で摂津の石山から紀州へ移る事になった。というか。
信長もかなりてこずった様子で、叡山を焼き討ちするようには行かなかったようである。
そのときに本願寺はお金のなかった京都の朝廷から"門跡(もんぜき)"の地位を買うわけである。
門跡というのは、ミカドの跡とかきますから、親王か、公卿の子が僧侶になったときだけを門跡といいます。だから本願寺は公卿になったわけです。顕如もその後の法主もご門跡様とよばれるようになりました。

逆説的にも思えるが、本願寺の狙いはそこかとなるほどと感心した。
叉この時点で、本願寺のお坊さんたちは、非僧非俗ではなくなった…と言うわけである。

かの大谷探検隊をシルクロードに派遣し続けることが出来た本願寺の勢力(財力)は、こういうところからも見られる。(浪費が祟って最後は辞めさせられたとはいえ)
ちなみに本願寺の裏方(門跡の奥方をこう呼ぶ)は、九条家などのお公家さんから嫁がれている。
公卿であるから、公卿の娘を嫁に貰ってもなんら問題はないわけである。
納得。

だが、京都に住んでいる私は、本願寺さんを見て、お公家さんだ(だった)とは思わないけどね。
別にけなしているわけではなく。(念のために言えば、私の出身大学は本願寺系列である。ちゃんと歎異抄も勉強した…ハズ)

宗教関連は、日本人には(私もだが)敬遠されがちではあるが、こうした平静の目で横から眺めると中々興味深い研究対象になりえる。
しかし、ええ加減長くなりすぎたので、次は宗教以外のもので面白い文章を引いてみようと思う。
*ちなみに長文ゆえ、誤字・脱字はお許しあれ。直しても直しても…あるんだよ。

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