「以下、無用のことながら」(司馬遼太郎著)を読んでいると、アチラコチラにドッグイヤー出現である。

エッセイとか、書評とか、講演原稿とか、短い文章の中になんとたくさんの知識(雑学)が含まれていることか。
感心してしまう。

その一つ一つを抜書きするだけで、簡単な本が出来てしまいそう…

面白いもの、目に付いたものをメモ代わりに書き留めよう。
とりあえず、本日は宗教(浄土真宗)編(プラスアルファ)。

「ここは、太宰治の西限のまちですね」
と、ふと思い出して土地のひとに聞いた。太宰というひとは東京というまちが好きだったようで、戦時中、故郷の津軽に疎開するとき、東京への訣別のことばをどこかに書いている。自分を育ててくれたのは東京というまちだというふうにである。箱根にも来、また富士の裏側の御坂峠にもきたりしたが、箱根を越えたのは、西麓の三島までだった。三島はなお東国に属する。津軽から三島までが自分の自己同一性(アイデンティティ)にかかわりのある同質の東方文化圏であるとどこかで思っていたふしがないでもない。
「箱根のむこう(西むこう)はオバケが出る」
等と言う江戸っ子のせりふがある。京や大坂、備前や備後、長州や薩摩という、それぞれ一筋縄で尺を測れない地方があることは、江戸っ子の不愉快とするところだった。

不愉快で悪かったねぇ…

江戸末期の戊辰戦争の戦力分断図を見る思いがする一文である。
終わり近くまで落ち目の幕府に力添えをしていた東北諸藩にとっては、京も大坂も、長州も薩摩も、そして強いものに糾合されていった諸藩の在するところは、またそこに蠢くひとは、人として相容れぬものであったのかも知れぬ。

福田(ふくでん)というのは浄土真宗の特有の用語である。この宗旨は領地をもたず、信徒の寄進のみに頼ってきた。つまりは檀信徒をもって福田となす、という考え方があったところから、熱心な真宗門徒だった惣八は、そういう気構えからそう名乗ったという。

なぜ中世の浄土真宗が、そのように布教に熱心だったかと言いますと、領地がなかったのです。
同じ浄土教でも浄土宗と浄土真宗が際立って違っていたのは、浄土宗には領地があり、どんな寺でも小さな田圃か山林を持っていることでした。つまり浄土宗は農地地主として寺を維持していました。
とういうのは、家康は江戸を開府すると、権威のために、東叡山寛永寺を建てます。これは、幕府は京都の天皇家に対抗する存在であるべきで、しかも江戸を新しい首都にするためには、日本仏教のオーソリティである短大集の叡山が必要であったということです。一方、自分の宗旨の浄土宗を大事にして、天台宗と同格にし、増上寺を造り、これを将軍家の二大菩提寺にしたのです。

寛永寺が、そういう意味を持って建てられたお寺だとは知らなかった。
今でも、行ったこともないし、何処にあるやら知らないというのが現実である。

本願寺の僧侶は発祥のころは世紀の僧侶ではありませんでした。つまり、本来の意味で正規の僧侶であるということは、奈良時代、平安時代の基準で言いますと、厳密な僧侶は、東大寺か叡山かで戒を受けなければいけないのです。

戒壇…東大寺や唐招提寺のものが有名だが、これも認識では"それだけのもの"だった…。
無知ってすごい。
強い。
だけど。
だから"占有"されてしまうんだな。
そして、更に司馬氏は言う。

例えば、西行は勝手にお坊さんになっているだけですから僧侶じゃないのです。戒を受けるのは高等文官試験みたいなもので難しいものでした。

身も蓋もない。
勝手になってるだけですか。
そ−ですか…。

その正式の僧侶でない人を、敬称を付けて、どう呼ぶのかというと、[上人(しょうにん)]と呼ぶのです。
いまは、日本語が紊乱しまして、上人と言うと、偉い人のようにきこえますが、上人というのは資格を持たない僧への敬称であって、たとえば空海上人とは言いませんし、最澄上人とも言いません。最澄も空海も有資格者だからで、無資格者に対してはたとえば親鸞上人というふうにけいしょうします。ただ親鸞の場合は、ときに聖人と書きます。聖というのは乞食坊主のことです。
聖と賎は神の表裏だと言いますが、聖というのは、普通、中世の言葉では、世紀の僧の資格を持たない、乞食坊主のことを言いました。だから尊くもありました。

誉めているのかけなしているのか…よくわかりません。
乞食坊主の意味するものが、既に私の知っている昭和中期〜後期のものとは違っているようです。
貧しいからこそ尊い…その感覚は、わからなくもないけれど。
また、本来の自分の家のお寺が現在暮らしている土地にない場合、と断って、

お葬式屋を頼むと、宗旨はなんですかと聞かれて、その宗旨のお坊さんが適当につれてこられたりします。
そのお葬式屋はお坊さんに対して、形の上では尊敬していますが、呼び方が、お上人なのです。

意味深です。
でも、実際そうですね。
よく言えば宗教にこだわりのない、悪く言えば何も考えていない日本人は、その場になって初めて自分の家の宗派を知ったりするんだよな。

大体仏教に、葬式というものはありません。お釈迦さんが、葬式の世話をしたり、お釈迦さんの偉い弟子たちが、葬式のお経を読んだという話も聞いたことがありません。またずっと下がって日本仏教の、最初の礎であった叡山の僧侶が、関白が死んだからといって、お葬式するために出かけて行ったということもありません。
奈良朝に起こった宗旨は、いまでもお葬式をしません。たとえば奈良の東大寺の管長が死のうが、僧侶が死のうが、東大寺のなかでお経をあげません。そのためのお坊さんが奈良の下町にいて、それを呼んできて、お経をあげさせる。それはお上人ですから東大寺の仲間には入れていません。
葬式をするお坊さんというのは、非僧非俗の人、さっきのお上人でした。つまり親鸞のような人です。

本当は、仏教はお葬式をしないんだ!?
初めて聞いた。
知らなかった。
でも、東大寺や唐招提寺などの(建物も格式も)大きなお寺で誰かお坊さんが亡くなったら、下町のお寺からお坊さんが…やっぱり"らったった"とか乗ってくるのかな?
それとも自転車?
いやいや、仮にも有名どころのお寺に行くわけだから外車…とはいわなくてもそこそこの黒塗り国産車で。
待てよ。
それじゃアブナイ人と間違えられるか?
う〜ん。
想像つきません。

そんなわけでまだまだ続く…制限字数(今で約2900字)に近づいてきたので、後編は明日に。

いや、面白い。
拾い読みしても面白いとよいが。

…私は面白いんだが。

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