「黄泉がえり」と言う本を読み終える。
「泣けるホラー」なんてほんまにあるんかいな、と思っていたら、最後には泣かされてしまった。
単純にいうと、人間を、人間の善を信じようという話だと思う。
どんな状況で、どんな生き方をしようとも、人は他人の命を思いやれる生き物だと信じる(信じようとする)話に弱い。
それは自分たちが、心の奥底では人間を信じていたいと思っているからだろう。
大病をすると、人は「人が変わる」
といわれる。
これは嘘ではない。ドラマ上の作り事でも、うわっつらだけの奇麗事でもない。
事実である。
自分の命に限界があるということを直に、強制的に知らされたとき、人は変わる。
人といわず、生き物には命に限りがある。
そんなことは常識で当たり前だと思う人間は、まだ「死」に触れ合ってはいないのだ。手の届くところにその身を置いたことが無いからだ。
自分の命を知り、同時に他人の命をも知る。
その大切さを、何者にも変えがたいということを。
だから、優しくなれる。
この小説のラストを読んで、一度なくしたものだからいいじゃないの。
なんてことは決して言えない。
なくしたものを取り戻す。
そして再び失うことの辛さ哀しさを私たちは知っているはずだ。
だが、人間である限り、その辛さも悲しみも乗り越えてゆかねばならないことも、私たちは同時に知っている。
少しづつでも、自分に、そして他人に優しくなれる、そんな物語だったと思う。
信じることは力、だね。
さて。
ブギーポップ、そして黄泉がえり、と続けて読了。
快調快調♪
明日からは……と、まだまだ本が選べるのが嬉しいね♪
「泣けるホラー」なんてほんまにあるんかいな、と思っていたら、最後には泣かされてしまった。
単純にいうと、人間を、人間の善を信じようという話だと思う。
どんな状況で、どんな生き方をしようとも、人は他人の命を思いやれる生き物だと信じる(信じようとする)話に弱い。
それは自分たちが、心の奥底では人間を信じていたいと思っているからだろう。
大病をすると、人は「人が変わる」
といわれる。
これは嘘ではない。ドラマ上の作り事でも、うわっつらだけの奇麗事でもない。
事実である。
自分の命に限界があるということを直に、強制的に知らされたとき、人は変わる。
人といわず、生き物には命に限りがある。
そんなことは常識で当たり前だと思う人間は、まだ「死」に触れ合ってはいないのだ。手の届くところにその身を置いたことが無いからだ。
自分の命を知り、同時に他人の命をも知る。
その大切さを、何者にも変えがたいということを。
だから、優しくなれる。
この小説のラストを読んで、一度なくしたものだからいいじゃないの。
なんてことは決して言えない。
なくしたものを取り戻す。
そして再び失うことの辛さ哀しさを私たちは知っているはずだ。
だが、人間である限り、その辛さも悲しみも乗り越えてゆかねばならないことも、私たちは同時に知っている。
少しづつでも、自分に、そして他人に優しくなれる、そんな物語だったと思う。
信じることは力、だね。
さて。
ブギーポップ、そして黄泉がえり、と続けて読了。
快調快調♪
明日からは……と、まだまだ本が選べるのが嬉しいね♪
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