小さな「あ」や「い」や「う」や「え」や「お」などの音がひたすら…これがひたすら続く。
この本に出てくる聖徳太子の仰りようである。
いや、なんつーかね。
いいのか、これで、嘗ての偉大なる1万円札さん、と思うような聖徳太子なんですけどね。
かの隋帝国(中国)の煬帝が周辺諸国へ伸ばす魔手(?)からなんとか倭国(日本)を守らんとする(?)のがこの小説の聖徳太子であります。
戦ってるのは、粉骨砕身で馬鹿を見ているのはその手先にさせられた小野妹子氏のほうであるとは思うのだが。
お笑い小説か?それともパロディだろうかと最初は身構えつつも字面を追ううちに、いつしか小野妹子と一緒に走っていた。
キャラクターのすさまじさに圧倒されて見誤るなかれ。
これはパロディでも、勿論お笑いでもない。
ちゃんとまともな歴史の心理を辿っている上で書かれた世界である。
すなわち、
?隋帝国のとどまることなき膨張
?膨張し戦い続けるが故に、内憂を生み抱かねばならない矛盾
?近所迷惑お構いなしの唯我独尊
…この辺は、ほとんどローマ帝国だ。
この、醜悪に蠢き膨張しようとし続ける強大な帝国は、朝貢国といえども単なる餌食であるとしか見ていない。
ただその順番が来るまで、生かしたまま飼っているに過ぎない。朝鮮半島しかり、ベトナムしかり、そして倭国しかり。
大帝国・隋とその周辺の朝貢国の関係を、大きな猪と蟻にたとえて語る聖徳太子の言は面白かった。
「蟻は大きな猪に、"部下になって、この宝物もあげるから、踏み潰さないで下さい"と言い、猪は"分かった。ではおまえはもう私の家来なのだから、私の行く手を邪魔してはいけない。"というなり、宝物を差し出すために前に出た蟻をその一歩で踏み潰してしまうのだ」
即ち、
「猪は、宝物は戴くだろう。服従することも認めるだろう。でも猪は、その実、蟻のいうことなんざ聞いちゃいないのさ」
だから、この破天荒な摂政皇太子が無茶苦茶をする。
小野妹子に、否、姻戚であり後ろ盾である蘇我氏にとっても、「まともじゃない」と言わしめる彼が、神出鬼没に出現し、無茶としか思えない奇策を小野妹子に押し付け(ここが肝心)、勝ちはしないが負けない戦いを繰り返す。
しんどい思いをするのはもっぱら小野妹子だが。
ただ。
歴史事実は別にして、
こんなこと、有ってもいいんじゃないか。と思わせるものがこの小説の中にはある。
倭国を守るために、隋国に襲われた高句麗を援助し、江南で暴れる盗賊を援助し、隋王朝と皇帝・煬帝が自滅するまでの"時を稼ぐ"のだ。
一見消極的な作戦だが、そうせざるを得ないほど、国力の差は歴然としていたのだ。
逆に、ヒーローものの小説のように、圧倒的無勢が圧倒的多勢に勝ってしまうという離れ技なんかが出てきたりすると、却って嘘臭くなってしまう。(いや、小説ってのはもともと嘘を書くもんなんだけど)
この小説の中で大いにページを割いているのが、煬帝の高句麗攻めである。いかにフィクションとはいえ、史実にのとった話であろう。
高句麗の軍神・乙支文徳の守る遼東城の攻防戦。
この描写が凄い。ここまですさまじく、しっかりと書こうと思えば、それだけの下調べは必要なはずだと思われるが如何か?
雲梯・衝車と大掛かりな兵器を使い絶え間ない攻撃を仕掛ける隋に火矢・油・石飛礫・熱湯と少ない人数がフルに動いて抗戦する高句麗軍。
倒れても倒れても湧いてくる無人の隋軍には、紙面の上ですらなにやらぞっとするものを感じたが、それは話に聞く朝鮮戦争時の中国共産党軍参戦の光景を思わせたからかもしれない。
倒しても倒しても…倒れても倒れても…。
しかしこれは、超大国に対する周辺の小国の戦い方であった。
正面から対抗して勝てるわけがないのなら、その足元を少しづつ崩してゆくに限る。
ちょっとづつ突付いてへずる、消耗戦である。
ゲリラ戦である。
話に聞く、ベトコン戦法か。
これならば、蟻であっても大猪を倒すことは可能だ。
猪は足元を見ないから。
特に肥え太ってふんぞり返っている大猪は。
…教訓。
ただし、最後のオチがちょっと。
「人間は所詮自分の周りの人間しか愛せない。」
確かにそうだけど、ソレを言ってしまったらおしまいだ。
私はそう思うのだが。
それにしても、必要に駆られたからとはいえ、あの危なっかしい、造船術も航海術もええかげんな時代に、よくまぁ大陸や朝鮮半島・沖縄・日本をいったりきたりしたものだ。
どれだけの遣隋使・遣唐使が犠牲になっているかわかってるのか、鑑真和上の苦労は、安倍仲麻呂の悲しみはど〜する!と、余りに安易な航海にケチを付けたくはなった。
第一座礁するのが怖くて陸に近づき過ぎないように沖を航行する技術が、度胸が、果たしてあったのか。(あるわけない)
それに、夜は航行しないでしょう?
ましてや沿岸は。
座礁すれば激しい波に洗われて、あっという間に船体も人もバラバラ。
まず生き残ることは難しい。
日露戦争寸前、紀州沖で難破したトルコの軍艦を考えてみればいい。ほんの100年前ですら、その脅威はただならぬものなのだ。
それをたかが遣隋使船の分際で……。
日本古代史の謎の人物、聖徳太子をこれほどまでに面白おかしく解釈した小説を私は知らないが、しかし…こんなん摂政にえらぶかよ、ほかに人はおらんかったんかい、と一言言ってやりたい小説でもあった。
&
聖徳太子の一族は蘇我氏に殲滅され、その蘇我氏を「大化の改新」の立役者の一人、中臣鎌足(後の藤原鎌足)たちが滅ぼした…と言うのが日本史の通説で、この小説の最後にもちらりと語られている。
うん。確かに通説はね。
そこで出てくるのが、
梅原猛著の「隠された十字架」
聖徳太子論と銘打たれたこの研究書はそんな通説が根本からふっとぶのである。
面白いけど背中がぞくぞく〜するような怖い話です。
♪すべてが藤原氏の陰謀なのさ♪
♪だから藤原氏は聖徳太子の一族の"祟り"が怖かったのさ♪
♪だから鎮魂、というより脅威の力を持った"聖徳太子"の霊を閉じ込めるため、封じ込めるために法隆寺をつくったのさ♪
その証拠が太子に似せて作られたというご本尊の救世観音……その光背は、後頭部に釘で打ちつけてあるのだ。
まるで何かを封じ込めるかのように。
あたかも呪いを掛けるかのように。
ふふふふふ……そら。怖いでしょうが?
ISBN:4758420335 新書 町井 登志夫 角川春樹事務所 2004/02 ¥1,000
この本に出てくる聖徳太子の仰りようである。
いや、なんつーかね。
いいのか、これで、嘗ての偉大なる1万円札さん、と思うような聖徳太子なんですけどね。
かの隋帝国(中国)の煬帝が周辺諸国へ伸ばす魔手(?)からなんとか倭国(日本)を守らんとする(?)のがこの小説の聖徳太子であります。
戦ってるのは、粉骨砕身で馬鹿を見ているのはその手先にさせられた小野妹子氏のほうであるとは思うのだが。
お笑い小説か?それともパロディだろうかと最初は身構えつつも字面を追ううちに、いつしか小野妹子と一緒に走っていた。
キャラクターのすさまじさに圧倒されて見誤るなかれ。
これはパロディでも、勿論お笑いでもない。
ちゃんとまともな歴史の心理を辿っている上で書かれた世界である。
すなわち、
?隋帝国のとどまることなき膨張
?膨張し戦い続けるが故に、内憂を生み抱かねばならない矛盾
?近所迷惑お構いなしの唯我独尊
…この辺は、ほとんどローマ帝国だ。
この、醜悪に蠢き膨張しようとし続ける強大な帝国は、朝貢国といえども単なる餌食であるとしか見ていない。
ただその順番が来るまで、生かしたまま飼っているに過ぎない。朝鮮半島しかり、ベトナムしかり、そして倭国しかり。
大帝国・隋とその周辺の朝貢国の関係を、大きな猪と蟻にたとえて語る聖徳太子の言は面白かった。
「蟻は大きな猪に、"部下になって、この宝物もあげるから、踏み潰さないで下さい"と言い、猪は"分かった。ではおまえはもう私の家来なのだから、私の行く手を邪魔してはいけない。"というなり、宝物を差し出すために前に出た蟻をその一歩で踏み潰してしまうのだ」
即ち、
「猪は、宝物は戴くだろう。服従することも認めるだろう。でも猪は、その実、蟻のいうことなんざ聞いちゃいないのさ」
だから、この破天荒な摂政皇太子が無茶苦茶をする。
小野妹子に、否、姻戚であり後ろ盾である蘇我氏にとっても、「まともじゃない」と言わしめる彼が、神出鬼没に出現し、無茶としか思えない奇策を小野妹子に押し付け(ここが肝心)、勝ちはしないが負けない戦いを繰り返す。
しんどい思いをするのはもっぱら小野妹子だが。
ただ。
歴史事実は別にして、
こんなこと、有ってもいいんじゃないか。と思わせるものがこの小説の中にはある。
倭国を守るために、隋国に襲われた高句麗を援助し、江南で暴れる盗賊を援助し、隋王朝と皇帝・煬帝が自滅するまでの"時を稼ぐ"のだ。
一見消極的な作戦だが、そうせざるを得ないほど、国力の差は歴然としていたのだ。
逆に、ヒーローものの小説のように、圧倒的無勢が圧倒的多勢に勝ってしまうという離れ技なんかが出てきたりすると、却って嘘臭くなってしまう。(いや、小説ってのはもともと嘘を書くもんなんだけど)
この小説の中で大いにページを割いているのが、煬帝の高句麗攻めである。いかにフィクションとはいえ、史実にのとった話であろう。
高句麗の軍神・乙支文徳の守る遼東城の攻防戦。
この描写が凄い。ここまですさまじく、しっかりと書こうと思えば、それだけの下調べは必要なはずだと思われるが如何か?
雲梯・衝車と大掛かりな兵器を使い絶え間ない攻撃を仕掛ける隋に火矢・油・石飛礫・熱湯と少ない人数がフルに動いて抗戦する高句麗軍。
倒れても倒れても湧いてくる無人の隋軍には、紙面の上ですらなにやらぞっとするものを感じたが、それは話に聞く朝鮮戦争時の中国共産党軍参戦の光景を思わせたからかもしれない。
倒しても倒しても…倒れても倒れても…。
しかしこれは、超大国に対する周辺の小国の戦い方であった。
正面から対抗して勝てるわけがないのなら、その足元を少しづつ崩してゆくに限る。
ちょっとづつ突付いてへずる、消耗戦である。
ゲリラ戦である。
話に聞く、ベトコン戦法か。
これならば、蟻であっても大猪を倒すことは可能だ。
猪は足元を見ないから。
特に肥え太ってふんぞり返っている大猪は。
…教訓。
ただし、最後のオチがちょっと。
「人間は所詮自分の周りの人間しか愛せない。」
確かにそうだけど、ソレを言ってしまったらおしまいだ。
私はそう思うのだが。
それにしても、必要に駆られたからとはいえ、あの危なっかしい、造船術も航海術もええかげんな時代に、よくまぁ大陸や朝鮮半島・沖縄・日本をいったりきたりしたものだ。
どれだけの遣隋使・遣唐使が犠牲になっているかわかってるのか、鑑真和上の苦労は、安倍仲麻呂の悲しみはど〜する!と、余りに安易な航海にケチを付けたくはなった。
第一座礁するのが怖くて陸に近づき過ぎないように沖を航行する技術が、度胸が、果たしてあったのか。(あるわけない)
それに、夜は航行しないでしょう?
ましてや沿岸は。
座礁すれば激しい波に洗われて、あっという間に船体も人もバラバラ。
まず生き残ることは難しい。
日露戦争寸前、紀州沖で難破したトルコの軍艦を考えてみればいい。ほんの100年前ですら、その脅威はただならぬものなのだ。
それをたかが遣隋使船の分際で……。
日本古代史の謎の人物、聖徳太子をこれほどまでに面白おかしく解釈した小説を私は知らないが、しかし…こんなん摂政にえらぶかよ、ほかに人はおらんかったんかい、と一言言ってやりたい小説でもあった。
&
聖徳太子の一族は蘇我氏に殲滅され、その蘇我氏を「大化の改新」の立役者の一人、中臣鎌足(後の藤原鎌足)たちが滅ぼした…と言うのが日本史の通説で、この小説の最後にもちらりと語られている。
うん。確かに通説はね。
そこで出てくるのが、
梅原猛著の「隠された十字架」
聖徳太子論と銘打たれたこの研究書はそんな通説が根本からふっとぶのである。
面白いけど背中がぞくぞく〜するような怖い話です。
♪すべてが藤原氏の陰謀なのさ♪
♪だから藤原氏は聖徳太子の一族の"祟り"が怖かったのさ♪
♪だから鎮魂、というより脅威の力を持った"聖徳太子"の霊を閉じ込めるため、封じ込めるために法隆寺をつくったのさ♪
その証拠が太子に似せて作られたというご本尊の救世観音……その光背は、後頭部に釘で打ちつけてあるのだ。
まるで何かを封じ込めるかのように。
あたかも呪いを掛けるかのように。
ふふふふふ……そら。怖いでしょうが?
ISBN:4758420335 新書 町井 登志夫 角川春樹事務所 2004/02 ¥1,000
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