「ウチの殿さま」
読了。

気になったところのみ抽出す。

?1862年まで京都所司代を務めた若狭小浜藩藩主・酒井忠義。幕府と朝廷の間で調整役として頑張ったが、支えきれず罷免。その代わり、寺田屋に集まった浪士のテロの目標にされていたのが、命拾いした。(塞翁が馬)

?摂津三田藩藩主・九鬼隆義。志摩半島で暴れまわった九鬼水軍の末裔。だもんで、いつか海に帰ろうと、池や川で水軍の訓練をつづけていたという。江戸時代の日本で。すごい。でもって、維新後は神戸に目をつけて土地を買いあさり、それが当たって巨万の富を得たと言う。神戸と言う土地に目をつけたのも、海のせいか。(人生、そんなもんかも)

?丹後宮津藩・本庄氏。藩祖の姉が、綱吉の母である、あの桂昌院(本名お玉)。「玉の輿」という言葉は、彼女から来たそうだ。(ことわざもそんなもん)


あとがきでも著者は重ねて主張する。
歴史書をしっかり読まない限りは間違ったことを描いている小説を読むな、と。
(小説の10倍は読めと)
…そんなん不可能だって(笑)

では。所謂歴史書とやらの信憑性は如何なりや?

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