価値観

2004年4月21日 読書
「魔女の1ダース」が面白い。

辛らつだが納得できる。

著者が、ソ連時代から同時通訳を職業としている人だという、割と特殊な環境にいる人なので、聞くこと読むことが新鮮なのかもしれない。
新鮮……とは、私が単にその方面に無知だったということでもあるが。

価値観の相違が争いを生む。
それが、自分の好きなものが相手も好きだと思い込んで、相手の迷惑顧みずにせっせと勧めてしまう程度のものなら、苦笑で済む。

これは、日本のその辺でもよく見かけるシーンだ。
曰く、仲人したがるおばちゃんが、クリスマスを過ぎかけた未婚の娘を持つ親のもとにせっせとお見合い写真を運んでくるとか。(まったく、ほんとに、大いに余計なお世話である)
曰く、読みたくもないハードカバー本を「面白いから」と次々押し付けてくる上司とか。(上司ゆえに断われへんやんか)

この本にもイタリア人に無理やり紀州の梅干を進める会社社長の話があったが、
通訳氏が例に挙げているのは、その民族、その言語を使う民族でなけりゃ分からない「お笑い」を訳せと言われたときである。

結論から言えば、無理。不可能。
伝わるわけがない。

日本人同士でも、伝わらないことがあるのに…そりゃ無理だろ、と察しはつく。
同時に、無理を言う人はそれぐらいの察しもつかないのかなと不思議に思うことである。
そういう人は同時通訳にとっては、「天敵」なのだとまで著者の米原万里さんは言う。

著者曰く、そんなときは、

「ただいまスピーカー(話し手)は語呂合わせをやりましたが、通訳不可能です。申し訳ありませんが、ムードを盛り上げるため笑ってやって下さい」

などとお茶を濁すほかない、と。

これだけ言えたら立派です。
というより、この科白で笑いが取れるんじゃなかろうか?

そうか。
スピーカーがどうしようもなくても、訳者がよければいいわけか。
政府のお偉方の対談や、そこから刻々変化する国際間の緊張なども、通訳者の能力と人間性でもっているのではなかろうかと、ふとそんな気がした。

実は数十年来の友人に、ロシア語を勉強した人物がいる。
彼女は大学を卒業後、働きながら外国語大学に通い、とうとうソ連留学までしたつわものである。(そう、当時はまだソ連邦だったのだ)
帰国後、その能力を生かせる職についたが、さすがに希少な人材らしく、かなりの高給職であったようだ。
しかし、ソ連から来たお客を、一日かけて東京ディズニーランドで接待したのよ…なんて話を聞いたときは、しんどい仕事だとさすがに思った。
とにかく、アルファベットがひっくり返ったような文字を、よく読んで書いてしゃべれるな〜とひたすら感心する私でありました。

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