後鳥羽上皇は、権力闘争に負けて隠岐島へ流されてしまいました。

後鳥羽上皇は、権力者に負けて、19歳の若さで天皇を隠居させられてしまいました。

後鳥羽上皇は、権力者の死亡により、彼を押さえつけていた箍が外れて…遊興三昧にふけまくったそうな。

中でも懲りに懲りまくったのが、刀鍛冶。

そう。
宮中に自分用の鍛冶場を作って、有名な刀鍛冶〜刀匠〜を呼び寄せて、御番鍛冶と称し、自分のお師さんにして刀焼いてたんだと。

山城の粟田口久国は大隅権守にまで叙せられている。
他にも御番鍛冶には備前の一文字派もいた。

でもって、上皇は菊の花が大好きだったので(!)焼いた刀の銘の代わりに菊の花を毛彫りにしたんだそうだ。

そう。
菊一文字の出来上がり。

おお!菊一文字って、そういう意味だったのか〜。

ひとつ賢くなりました。

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