ジャンク
2003年11月26日「江南のみち」にジャンクの話が出てきた。
自分が帆船好きなので、ついつい身を入れて読んでしまう。
舳先近くの横に描かれているでっかい目玉は、「道に迷わないように」書くものだと言うのが、ジャンクにおける迷信。
いな、迷信と言うのは早い。
どだい、船乗りと言うものは、どの国であれ、どんな船であれ、「板切れ一枚、その下は地獄」という、共通概念を持っている。
私がジャンクをこの目で見たのは、中国中心部を西から東へ横断する長江を下る途中だった。
怖くないのか、大型汽船である観光船のまん前を、彼女はのんびりと漂っていたのだ。
お世辞にも美しいとはいえない帆船であった。
黄ばんだ上にたるみきった帆。
雑然とした甲板。
帆船好きの私をして、がっくりと肩を落とさせるのに十分な、貧弱さと粗雑さ…ショックは隠せなかった。
が、それはジャンクがまだ中国の人々の生活に密着していることの証でもあったのだ。
数百年、或いは千年以上も変わらぬ姿で、人とかかわりを持っているかの船に今は敬愛すら覚える。
さて、ところで。
大海においては、人間は、自然の力の大きさを思い知るだけである。
どう科学が発達しようとも、油断をしたら、命とりなのだ。
謙虚で信仰深く、頑ななぐらいに迷信を恐れる、そんな気持ちでいてちょうどなぐらい、海を往くというのは大変なプレッシャーなのだろう。
…で、アンドレ・マルロー作の「征服者」と言う小説の一説に、若い中国の革命家が、強奪した蒸気船に目をつけようとしていて時間をとり、見つかってしまったと言うくだりがある。
アジア人の観念を見下した匂いも伺われるらしいのだが、未読ゆえに私には分からない。
だが、「船に目玉を」と必死に、真剣に考え行動した中国の若者の心理は、なんとなく理解できるような気がするから不思議だ。
これはアジアと言う同地域の意識の部分ではなく、ジャンクと言う帆船に対する意識の部分で、私の感情が動いているのかもしれない。
洋の東西を問わずに、船について(特に帆船について)語る研究者にとっては、船は単なる対象ではなく、単なる研究ではなく、「愛情を感じられる生き物である」らしい。それは論文を一読するだけで分かってしまうと、著者(司馬氏)が述べているのが、なんとなく嬉しい。
そう。船は、女性名詞であらわされる。
彼女は海の女王であり、永遠の女神である。
女である私ですら魅惑されてしまうほどに…
自分が帆船好きなので、ついつい身を入れて読んでしまう。
舳先近くの横に描かれているでっかい目玉は、「道に迷わないように」書くものだと言うのが、ジャンクにおける迷信。
いな、迷信と言うのは早い。
どだい、船乗りと言うものは、どの国であれ、どんな船であれ、「板切れ一枚、その下は地獄」という、共通概念を持っている。
私がジャンクをこの目で見たのは、中国中心部を西から東へ横断する長江を下る途中だった。
怖くないのか、大型汽船である観光船のまん前を、彼女はのんびりと漂っていたのだ。
お世辞にも美しいとはいえない帆船であった。
黄ばんだ上にたるみきった帆。
雑然とした甲板。
帆船好きの私をして、がっくりと肩を落とさせるのに十分な、貧弱さと粗雑さ…ショックは隠せなかった。
が、それはジャンクがまだ中国の人々の生活に密着していることの証でもあったのだ。
数百年、或いは千年以上も変わらぬ姿で、人とかかわりを持っているかの船に今は敬愛すら覚える。
さて、ところで。
大海においては、人間は、自然の力の大きさを思い知るだけである。
どう科学が発達しようとも、油断をしたら、命とりなのだ。
謙虚で信仰深く、頑ななぐらいに迷信を恐れる、そんな気持ちでいてちょうどなぐらい、海を往くというのは大変なプレッシャーなのだろう。
…で、アンドレ・マルロー作の「征服者」と言う小説の一説に、若い中国の革命家が、強奪した蒸気船に目をつけようとしていて時間をとり、見つかってしまったと言うくだりがある。
アジア人の観念を見下した匂いも伺われるらしいのだが、未読ゆえに私には分からない。
だが、「船に目玉を」と必死に、真剣に考え行動した中国の若者の心理は、なんとなく理解できるような気がするから不思議だ。
これはアジアと言う同地域の意識の部分ではなく、ジャンクと言う帆船に対する意識の部分で、私の感情が動いているのかもしれない。
洋の東西を問わずに、船について(特に帆船について)語る研究者にとっては、船は単なる対象ではなく、単なる研究ではなく、「愛情を感じられる生き物である」らしい。それは論文を一読するだけで分かってしまうと、著者(司馬氏)が述べているのが、なんとなく嬉しい。
そう。船は、女性名詞であらわされる。
彼女は海の女王であり、永遠の女神である。
女である私ですら魅惑されてしまうほどに…
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