江南を行く司馬遼太郎氏一行…と言えば、学者だ文筆家だとなかなかの大物が揃っていると思われる。

会稽山で、彼らが見つけたのは「梅干」。
日本の、塩漬けの、すっぱさのきわみのようなあれではなく、「青梅を干して砂糖水につけた夏の飲み物」と言うぐらいだから、「お菓子」である。

違うものだが、筵の上に並べて干されたそれを見つけて、見てくれも社会的地位も立派な方々が、

「梅干だ〜!梅干だ〜!」

とよってたかって、ガイドが困るぐらいそこから離れようとしなかった、と言う記述があった。

日本人ほどおいしいものを食べている民族はいないらしい。
外国人が「日本に行って太った」というのは珍しくない。
叉、「本国で食べる母国料理より、日本でアレンジされた料理のほうが美味しい」なんて話も聞く。
食を追及する日本人の情熱は、なみなみならぬものがあるのだ。

日本人だけではなく、「食」は凄い。

人間を支配する。

毛沢東はあの広大な中国大陸・あの多くの人民をひとつの国家に統一するに当たり、
「とにかく飢えさせないこと(=食べさせること)だ。」
といったそうな。

とりあえず、食べさせていれば、人間は我慢できる。ついて来る。支持してくれる。

逆に食べ物の恨みは恐ろしい。
「食指」のことわざの語源など、おすそ分けがなかったことが反逆を起こす原因になっているのだから。

そういうことか。とりあえず、食べて・眠って・生きることができるのならば、人間は我慢しできるものなのかもしれない。
いまやそれすらも怪しくなった日本と言う国家に住む一人として、そんな科白に頷いてしまいそうなことが、かえって空恐ろしい。(日本もそこまで来ちゃったのか、と)

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