「江南のみち」のほうが進んでしまう。
一度か二度は読んでいるはずなのに、妙に新鮮。そんなに読み落としていたのか…!
ぽろぽろこぼしてしまったものは仕方ない。
もう一度拾いますか。

日本で呉音と漢音が混ざるのは、南北朝のころ、朝鮮半島の百済経由で文化を伝えてもらったため。

百済は身近の北方民族ではなく、東晋に始まる漢民族王朝に親しんだため。
朝鮮半島からはるばる黄海づたいに江南に接触していたらしい。
江南といえば、かつての呉や越やその奥の楚へとつながってゆく。呉音が朝鮮半島経由で日本にやってくるのは仕方ない。

その呉の服が日本固有の民族衣装をさし、聖徳太子の使いが「わが国は"にっぽん"である」と、当時は田舎言葉に成り果てていた呉音で胸を張って中華へ参じたのは、ものすごいこと。度胸があるというより、知らないからできることだ。
でも漢音だと"じっぽん"…余りきれいな音じゃないね。

百済滅亡時に、日本にはとても多くの人間が朝鮮半島からやってきて、例えば有名な秦氏のように秀でた技術や知識でレベルの高い氏族集団を形成した。
が、やがては彼らもゆっくりと日本と言う土地に沈んで、日本を作る人々の、ひとりひとりに化してしまった。

文明の溜まり場であり終点である日本。
ここもいくつもの民族が交じり合ってできた国であると言うことだ。

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