今日は研修。

で、重たい煉瓦は止めて、「殺人者の陳列棚」を持って出ることに。

上巻が終わると踏んで上下刊もっていったが、珍しくも緊張したのか(否。隣の落ち着きのないねーちゃんのせいだ!)読みきれなかった。残念。

ねーちゃんの件は、日記に譲るとして、殺人が立て続けに発生して、被害者がどんどん増えてきて、ヒロインが危機一発というわけで…面白くなってきた。

脊髄切開は未経験で有るが、体にメスを入れるという経験だけは何度もしているので、リアル感があって気持ち悪くなったりする。
それだけでなく、傷みまで感じるような「気」がしてくる。
この本は面白いのだけど、そこのシーンだけは、ちょっと辛い。

かつて読み出して、読みきれなかった「殺人鬼」は、手術の前後の処置を経験した人間ならば、「その傷み」が「その苦しみ」が想像できてしまって、読むのはかなり辛い。

嘘だと思うかもしれないが、移動式点滴架を「ポチ」と呼び、何度も注射を射つがゆえに腫れ上がった腕を「蛇が鼠を飲んだ」といいあって笑った(笑うしかなかった)ころ、本当に、痛くて、しんどくて、辛くて、耐えられないと思った。
逆に、今思うと良く耐えたもんだなと思う。

そういうことをわかってくれと言うのではなく、だから「殺人鬼」なんかは読めない体質になってしまったと言いたいだけであるが。

手術して、痛み止めを断るFBI捜査官に「ア、イタタタ…。」と呻いてしまう。

面白いのは、この捜査官氏が過去の事件を探るその方法である。
綿密に完璧に資料をあたり、過去の情景を細部まで「想像」し、「創造」してしまうのだ。
過去の現象・事象の中に幽霊の如く入り込み、「見て」「感じて」そして、真相を「視る」
これが凄い。面白い。

やっぱり「想像する」ってすごいことなんだなぁと改めて知る。

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