いよいよ京極夏彦氏の分厚い本に…う〜ん、相変わらずだ。この厚さ!しかし薄い文庫本も値上がりした今日この頃、この厚みでこの値段(¥1,500-税別)はまだ良心的かも。
なにが嫌って、ひっくり返って本が読めないことだ。
みっちりぎっちり詰まった漢字を追いかけるだけでしんどい。事件はまだ。いや、何処から事件が始まっているやら分からんところがこの作者であり、それが魅力でもあるのか。

しょっぱな。
作家である関口氏が相変わらず訳分からん鬱状態。いつも思うんだが…たいてい小説家とか記録者と言うのは小説家(作者)の投影であり身代わりである。ワトスン氏然り。しかしこの関口氏に対する作者の描き方(設定)は余りにもむごい。
そこまでくそみそに書かんでも、と思う。
なんでここまで徹底的に痛めつけるのか?作者自身を投影しているならなおさらのことである。
「京極氏は、もしかしてマゾ?」などと考えたりもした。
しかし、陰鬱な人付き合いの悪い「真の」探偵役である京極堂の主人(他に"探偵”と称する人物がいるからややこしいな)が作者の投影と見るほうが正しいのか?
なにしろ”京極堂”である。
いくら暗くても、内向的でも正体が知れなくても、わが身の消滅を心から願うような頼りないうつ病の作家よりははるかにマシな人物である。(なにより正気だし)
しかしながら、マシなほうに自分を設定しているのであれば余りにひどい、非人道的である。

うつ病の救いようのない作家に何を投影しているのか、数冊読んでみても私にはまだ分からない。いつか分かるのだろうか?

ちなみに。
横溝正史がきれいな女性に引っかかりのある理由が…ちょっと分かった気がした導入部である。

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