高尾慶子氏のエッセイ「私のイギリス あなたのニッポン」がもうまもなく読めてしまう。
相変わらずの毒舌。この人の場合、はっきり物事を言うのが小気味良い。
わざと喧嘩を売っているようなところも…わざとね、多分。

姫路出身で京都にもしばらく住んでおられた方なので、本の内容にもちらほらとその地名が出てくる。

京都は(も)無計画な都市計画で汚い。
…はい、その通り。
雑誌やテレビで言うような情緒豊かな日本家屋・京屋はもう何処にでも見つかるというものではない。

最近ようやく、無粋な電線や歩道のガードレールもどきなど、地下埋没工事などをして小奇麗にはしているようだ。
が、もともと狭い道に車と自転車と人が右往左往して通るので、そりゃぁまあ、見てる分にも歩く分にも、腹立たしいばかりである。住人は勿論、観光でこられた方もご存知のはず。

せめて大阪ぐらい道幅があれば…。
そこに民家の壁すれすれにマンションが建つ。
日照権どころの話ではない。
本当に無茶な建て方をするのだ。

地域住民の反対なんぞなんのその、強引な企業や不動産がマンションを建てる。建ててしまった勝ち、売ってしまった勝ち。
後は「知らん」である。

いきさつなど何も知らない人が購入して、入ってみて初めて地域住民との確執があることに気が付く。気の毒なのは、高い買い物をして入居した人たちである。
元々住んでいた人だって、入居者に罪がないのは分かっているが、そのマンションができたがために…と言う気持ちは払拭できない。

静かだった、昔ながらの路地奥などにマンションが立てば、正体の知れぬ人の出入りが多くなる。(昔はご近所さんのことはすべてわかっていた)⇒不安感が増す(実際、犯罪の多い現実はいかんともしがたい)・うるさい・騒がしい。何よりも、従来の地域の「しきたり」を護らない人間が増える⇒マンション住民とのトラブル

勿論すべてこうなるわけではない。新・旧の住民が、仲良くやっているところもあるのだ。
そう、仲良くやっていくのに越したことはない。
が、買取・賃貸にかかわらず、古い町内にマンションの居住者として住む場合、
「近所付き合いなんてうっとおしい。私は知らない、勝手にやる」
式が通らないのが京都でもある。
通っていると思っているアナタ。
それはアナタが気が付かないだけです。キビシ〜イ視線が、評価が、ひそかにアナタの背中につきささってます。表に出てこないだけで…。

どうか、お互いに、うまくやってください。色々面倒なことも多いとは思いますが…。

さて、それはともかく。
著者は述べている。

都市計画も何もなく、皆が好き勝手に立てまくっている日本の街は汚い。
京都に建った京○ホテル、京○駅を見てごらん、と。
まさしく、その通り。
京○駅なんて、烏丸どおりの交差点から見たら、視界をさえぎるばかりで不愉快である。
「あのえらそうに建っている壁はなに?」
と思うほど。
京○ホテルを建てるために、高さ制限を取っ払った為、市内のあちこちで、狭い敷地にのっぽビルがあたりを睥睨して建つ羽目になった。
高いところに住めば、それだけでえらくなったような気になると、それを目当てに購入する人間が多いと踏んでのことなのか?
まあ、どうせ、「大文字焼きが部屋から見えるんですよ」とかなんとか、そのあたりがセールスポイントになるのだろう。(残念ながらすべての山が必ずしも京都市内中心部に向いているわけじゃあないが)

京都のお寺や有名旅館や料亭は、借景を利用しているところが多い。庭越しに、遠くの山や景色を自分の庭の延長線上に取り入れ、利用して、奥行き深く、美しく、広がりを持った庭に見せたりする。
街の真ん中からでもビルの隙間から山が見えるという土地ならではだ。

…著者曰く、某有名旅館の隣にコンクリートの建物(マンション)を建てようなどということ、これこそが、日本人が傍若無人に景観を破壊してきた、美的感覚の欠如の現れであると。

この件については京都でも話題になった。多分それのことを言っておられるのだと推察する。
某有名旅館の隣家は年寄り夫婦の住宅で、老後の生活のためにマンション経営を考えたのだという。勿論土地は夫婦のもので、法的には何の問題もない。
ところがここにマンションが建つと、某有名旅館の「借景」が崩れる。
この事実に、有名人・芸能人らがこぞって建設反対をした。京都市は両者の話し合いに任せると知らん顔。(まぁお役所はいつものことだ)

さて。この問題をどう考えるか、である。
馬鹿でかい京○駅、お寺の拝観拒否問題まで引き起こした京○ホテル、そして生活のためにマンション経営を考えた老夫婦。すべて一線上に並べて良いのだろうか?

「昔のままで残したい」「残っていてほしい」という希望は、観光客や京都を愛する人々だけでなく、京都人だって当然持っているのだ。
だが、そこに住む人々の生活はどうなるのだろうか?誰がどうしてくれるというのか?我々だって、自分のためには自分で改善するしかない。

一方で、あれはイカン、これはイカン、といいながら、叉一方で
「勝手にやりなはれ」
というのは、余りにも勝手ではないかと思うのだが…。

などと言うことを、本を読んでいて頭の中でぐるぐるぐるぐる渦巻いた、一日であった。
混乱してるかな…?






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