怒るには勇気が必要。
現代の世の中を見ればそれは一目瞭然。
下手に注意したら…こちらの命までが危ない。
私のように体力のない、いざとなったときに自分を護れる自身のないものにとっては、本当に考えてしまうことだ。

故意ではなく、無知がなせる悪事もある。
だから注意すること、怒る事は必要なのだろう。
そういえば、昔はみんな怒ってたなぁ。今のように、ではなく、「こらぁ!」って近所のおじさんたちに大きな声で怒られたものだった。
やっていけないことは、そうやって覚えもした。

そう、怒るには体力も気力も必要だ。
そして今、私が怒るには、体力も気力もない。
勇気もないのだ、きっと。


放置された山小屋が数十年たって跡形もなくなって、丈高い草木に覆い隠されて、人がそこに存在したことを完璧に消滅させる。
…そういうことが怖くて、人間は「自分の存在した後」をどこかになにかに残したくて、自然を傷つけるのかなぁなんて思ってしまった。
そうやって残ったものが「せかいいさん」だ「こくほう」だ「じゅうようぶんかざい」だと褒め称えられるのであれば…そうなってしうまうか。

そう考えると、やはり辛い。
人間とは、この地球では癌細胞でしかないと、再確認させられるようで辛い。

昔の如く、にする運動も難しい。
クーラーになれた人間たちからクーラーは取り上げられるだろうか?
せめて「今」を維持すること。これ以上悪化させないことしかできないのだろうか?

「人間が好き」と、子供の頃のように公言できなくなってきたことが辛い。


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